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9月23日(火) 出発の日 野宿 (上板町の遍路小屋)

装備もできた。
準備もできた。
いよいよ出発。

前日に、あらかじめバスの出発時間を決めた。
朝9時くらいに出れば、11時には鳴門駅に着いて1番札所霊山寺に一番近い駅坂東駅行きの電車に乗り、お昼には遅くても遍路を始められるだろう、と計画した。

23日朝。
車で神戸・三宮のバスターミナルまで送ってもらった。
しばらくピロキさんにもネコ息子たちにも会えないのは寂しかったが、期待で心がいっぱいだった。
9時10分出発のバスのチケットを買い、バスに乗った。
外は、青空と太陽がまぶしい、まだ暑さが残る美しい初秋だった。

阪神高速を抜け、美しい明石海峡を抜け、淡路島から鳴門大橋を渡り、目的地の高速鳴門には1時間ちょっとで到着した。
まずは足慣らし、と高速鳴門のバスターミナルから鳴門駅まで歩く。

四国は、田舎。わかっている。でもいくら田舎でも、観光地だし、15分に1本くらい電車は出ているだろう。大丈夫、大丈夫。
そう思い、10時45分くらいに駅舎に入る。
板東駅、と…よし、ここか。乗り換えが必要なのかな?
時刻表は、っと…

え?
えええええええええええええ!?
次発12時01分!???

甘かった…アメリカのバースデーケーキなんかよりもべたべたに甘かった。
15分に1本どころか、11時台は1時間に1本も電車が無いぃぃぃぃぃぃっ!

出鼻から挫かれた。
どうしよ、予定がめっちゃ狂う…と、うなだれながらも一応、窓口のおねえさんから切符一枚購入。
外にでて、路線バスもチェックしてみる。

路線バス乗り場には、いろんなバスが乗り入れるらしく、おじいちゃんおばあちゃんで溢れていた。
そこで路線図と時刻表を探していると、大きなバックパックに菅笠をつけている私の姿を見たおじいちゃんが、

「お遍路さんか~?」

と声をかけてくれた。
電車が12時過ぎまで無いことなどを説明すると、
「バスの方が早いよ。ここで待って、大麻行きに乗ったらええ。」
と親切に教えてくれた。
(それにしても、すごい名前だ…昔は栽培してたんだろうな。)

記念すべき四国お接待第一号。
ありがとう、おじいちゃん。

それから、電車の切符を払い戻し、おじいちゃんの横に座ってお話をさせてもらった。
会話のほとんどは、
「一番へは、大麻行きに乗ったらええ。うんうん。」
で構成されていたが、有難かった。
おじいちゃんは、大麻に行くのではなく、他に向かうのでしばらくして到着したバスに乗り込んでいった。
乗り込む間も、
「ここで待っとたらええからな~」
と繰り返してくれた。
ありがとう、おじいちゃん。ちゃんと待ってるから、大丈夫だよ~。お元気で~!

しばらくすると、中国人らしい女の子が2人、バス停で路線図を探し始めた。
話を聞くと、観光で鳴門の渦を見に来たらしい。地元民でもないが、
「鳴門公園行きのバスに乗ったらええ。うんうん。」
と教えてあげて、バスが到着したときにも知らせてあげたら喜んでくれた。(ちゃんと地元の人にも確認したから、大丈夫、なはず…)
渦潮は、見れる時間が限られている。きちんと調べてきてないみたいだったので心配だったが、観光の女神さまが微笑んでくれるかもしれないことを祈り、見送った。
中国と日本は、政府仲も報道上の国民感情も良くない。その中でも日本に観光に来てくれる人達に温かい経験をしてもらうことが、大切なんだろうなー、と勝手に納得して彼女たちの旅の安全を願った。

次に声をかけてくれたのは、白髪のやさしそうなおばあちゃん。
一番札所に行くことを見越して、
「大麻までだったら、私と同じバスだから、一緒に乗っていきましょう。」
と言ってくれた。
12時近くにようやくバスが到着し、おばあさんと一緒に乗り込む。
荷物が大きいのが他のおばあさんたちに申し訳なかった。

「この路線はね~、老人はただで乗れるのよ。だから、普段はガラガラで、老人しか乗ってないわ。」
や、
「お遍路、頑張ってね。」
などという温かいお言葉をいただきながら、おばあさんと一緒に大麻方面へ向かった。
おばあちゃんは、私の降りる停留所より一つ前の停留所で降りていった。
「次の停留所を降りたら、真直ぐ進めば霊山寺が見えるから、頑張ってね。」
という温かい言葉を残してお別れをした。
おばあちゃん、言葉とやさしさのお接待どうもありがとう。元気で長生きしてね。

1番札所 霊山寺

お遍路の1番札所だし、さぞかし賑やかなのかと思えば、なんのことはない普通のお寺だった。
遍路当初は、本当に観光兼修行のような気分できていたため、山門で一礼、手と口を清め、本堂にろうそく、線香、納め札と5円のお賽銭を納めた後、「宜しくお願いします」と、手を合わしただけ。
大師堂には見向きもしなかった。
納経もしない。
遍路道具も全て揃えてあったので、寺の中の巡礼用品店にも、門前の巡礼用品店にも寄らず、速攻で2番へ向かう。

2番札所 極楽寺 1.4km

はっきり言ってお寺の形すら覚えていない。
1番と同じように、参拝をさっさとすました。
ただ、ここからご本尊へは、「私のおばあちゃんの顔に笑顔がいつも灯っていますように」とお願いすることにした。
今年(2008年に)86歳になった私のおばあちゃんは、数年前に脳卒中を起こし、体の左半身が麻痺してしまった。
それを、びっこを引きながらでも自分一人で歩けるまでにリハビリなどで努力し自力で回復させた。
それを完全に治してくれ、なんて祈ったらいくら仏様でも困るだろうし、きちんとした参拝マナーも踏んでいない私にはあまりにおこがましい願いなので、四国遍路の願は、彼女の心の安らぎを祈ることにした。

2番から3番へ向かう途中、ずっと集落内を通った。
道中、電柱やミラーの柱などにへんろ道しるべの赤いやじるしがいっぱい貼ってあった。
へんろみち保存協力会の立て札も至る所にあったので、迷う心配はなかった。
へんろみち保存協力会の皆さん、地元のみなさん、ありがとうございます!

途中で、ライターを買うことを思いつき、集落内にあるたばこ屋さんに入った。
誰もいないカウンターに向かい、「すみませーん」というと、中からお店のおとうさんが出てきた。
「すみません。ライターを一つ買いたいのですが。」
と言うと、
「はい、どうぞ。お代はいいから。」
と、ライターを一つ渡してくれた。
「あ、でも・・・」という私に、
「いいから、いいから。気をつけてね。」
とライターを渡してくれた。
わざわざ店の奥から出てきてくれて、代金も取らずに、ライターをお接待してくれた。

これが、四国のお接待なのか…すごい…

おとうさん、ありがとうございました!

たばこ屋にお礼を言ってしばらくまた集落内を歩くと、初の本格的な「へんろみち」なるものにようやく遭遇。
田んぼの狭いあぜを通り、民家の庭だかなんだか分からないところを抜け、3番札所に到着した。
そのへんろみちにも、それが現在でもそのような形で残っていることにも感動した。

四国ってすごい…

3番札所 金泉寺 2.6km

ここのお寺もあんまり覚えてない。
へんろみちの印象のほうが、強い。
同じようにさっさとお参りして、次へ。

3番から4番へ向かう途中からは、土のへんろみちに替わる。
ちょっと山道をあるいているみたいで、うれしくなった。
その途中に、寂れたお堂があり、その軒下に「遍路調査のお願い」みたいな紙が置いてあった。
そこには、各自の年齢や遍路の方法、回数等を書く欄があり、お遍路さんの実態を調査しているみたいだった。
そこで、私より2日ほど前にそこを通過している歩きの80歳のおじいさんの記入をみた。
80歳で歩き遍路って、すごっ!頑張ってください。

4番札所 大日寺 5.0km
うーん…このお寺もあんまり記憶にないので、次。

4番から5番へ向かう途中に、番外霊場五百羅漢がある。
そのちょっと手前に、寂れたお寺のようなものがあり、そこで小僧さんのような人達2人が働いていた。
「こんにちは~」
と言って通り過ぎようとすると、
「歩き遍路さん?野宿なの?それだったら、県道沿いに泊めてくれるところがあるから、行ってみたら?」
と教えてくれた。(銀マットを外付けしているので、野宿だとすぐにばれる。)
そろそろ夕方だし、よかった、と思いお礼を言ってお別れした。

そしてすぐに、石仏が立ち並ぶ五百羅漢に到着した。
そこには黒くてかわいいわんちゃんが1匹いて、よしよしさせてもらった。
首輪をしてなかった。
えさを持ち歩いていなかったことを悔やんだ。
元気で生きろよ!と祈ることしかできず、悲しくなった。

5番札所 地蔵寺 2.0km

情けないが、初日でそろそろ疲れてきた。
よっこらしょ、っと手水場の横に重い荷物を置いたとたん、おばさんに声をかけられた。
「歩き遍路さん?まあ、野宿なの?えらいわねー。」
そして、1000円札を一枚渡してくれ、
「これでのどを癒して。」
と言われた。
お饅頭やドリンクのお接待は聞いていたけど、現金のお接待なんて!まさかあるとは思っていなかった。
「え!そんなの受け取れません!」
と言ってしまった。
それでも、
「のどでも癒して。私のご先祖様のお墓がここにあるのよ。だから、こうして出会う歩きのお遍路さんに、時々渡しているの。」
とのこと。
そこで、有難く受けとらせてもらった。
お礼を言うと、おばさんはお墓参りに五百羅漢のほうへ静かに戻っていった。
姿が見えなくなるまで、目を逸らせなかった。
おばさん、ありがとう。おばさんの気持ちと一緒にこれからの道のりを歩ませていただきます、と初めて心に誓った。
この時いただいた1000円は、募金でもしようと思って財布の別のポケットに入れた。

5番を終え、集落内をまた歩き始める。
そろそろ今晩の寝る場所を探さないと、と思い、先ほど小僧さんに聞いた場所を尋ねようと県道に出てみた。
県道沿いをちょっと歩くと、「お遍路さんお接待所」とかかれたカフェのようなところがあった。
そこでは、外のテーブルにお茶が置いてあり、「どうぞ中で携帯の充電もしてください」とも書いてあった。
有難い。とりあえずお茶を1杯いただいた。冷たくておいしかった。
でも、中は休業日で閉まっていた。
そこが、先ほどの教えてもらった宿泊場所だと勘違いし、休業日なのでしょうがない…と、もとの遍路道へ戻ってしまった。(後ほど「野宿リスト」を見せてもらったところ、木工所だかの社長さんが、事務所の2階を善根宿として提供されているとのことだった。だから、このお接待カフェ/ギャラリーは別物ということになる。)

また集落をしばらく歩いているうちに、日も大分落ちてきた。
足も疲れてきた。
ちょうど右手に八坂神社があり、鳥居のすぐ横に石のベンチがあった。
その頃はまだ神社の境内で寝る度胸がなかったから、最悪そこで寝ればいいや、と思いしばらく日が暮れるのを待っていた。
そこに、スクーターに乗ったおじいさんがやってきた。
私の姿を見ると、スクーターを止めて、話かけてきてくれた。

「歩きのお遍路さんか?今晩泊まる所決まってるんか?」

私が、野宿をしてて決まってないから、この石の上で寝かせてもらおうと思っています、と言うと、
「そんなん危ないから、やめときなさい。県道沿いに泊めてくれる所があるんじゃけど、そこは男も一緒くたじゃけん、勧められんのー。うちにでも泊めてやりたいんじゃが… ここから橋を2個渡った大きな川のそばに、遍路小屋があるから、そこまで行きなさい。以前も女の子がおって、同じようにここで寝るって言ったけん、そこを紹介したことがある。」
と言ってくれた。

「ありがとう、おじいさん!」とお礼を言って、夕暮れの中、その遍路小屋に向かった。

宮ヶ谷川に掛かる泉谷橋を渡ったすぐ右手にそれは建っていた。
地元住民のご好意によって建設され、掃除などの管理がされている小屋だった。
そこには、2日目の行程を詳しく記してある「昔からの歩き遍路地図 最後まで残った空海の道」という地元編纂の地図も置いてあり、有難く1部いただいた。
「大衆遺産(だったと思う…)」というタイトルで、遍路のポスターが貼られてあったが、モデルは金髪の白人女性だった。
「なんでやねん!」と心の中でつっこみつつも、その写真から正しい菅笠の紐のつけ方を学んだ。どうやら私は、準備段階で正しくヒモをつけきれていなかったらしい。どうりで笠がしっくりこないはずだ…
そんなこんなで、そこで日が暮れるのを待っていると、おばさんが一人やってきた。
「あら、お遍路さん?もうすぐ暗くなるけど、今日はどこまで?泊まる所は、決まってるの?」
と声をかけてくれた。
野宿なので、この小屋に泊めていただこうと思っているが、よいだろうか、と聞くと、
「それはいいけど、大丈夫?お手洗いも水もないのよ、ここ。」
大丈夫です~と言うと、「そう?じゃあ気をつけてね。」と言って、小屋の周りと中にある落ち葉を履いて帰っていかれた。
しばらくすると、また戻ってきて、
「地区で管理している水道があるから、そこで水を使いなさい。」
と言って、蛇口の栓を渡してくれ、水道の場所まで案内してくれた。
その上に、「これ作ったから食べなさい。」と言ってよもぎまんじゅうを2個渡してくれた。

たかが遍路というだけで、赤の他人にどうしてここまで優しくしてくれるのだろう…

有難くてありがたくて、かえって申し訳なくなってしまった。
でも、お陰さまでさっぱり顔も洗えて、備え付けの座布団を並べその上に銀マットを敷き、寝袋で床についた。
しばらくすると、またスクーターの音が聞こえて、小屋の前で止まった。
さっきとは別のおじいさんが小屋に入ってきた。
「歩き遍路さんか?ここに泊まるんか!すごいなー。」
と言って、話を始めた。

彼は、10番札所近辺に住んでいて、以前から自宅を善根宿としてお遍路さんを泊めていたらしい。
数年前だかに妻に逃げられ、それ以来お遍路さんの話相手をしていないと、気が済まない…などということを永遠としゃべっていた。
「遍路の間では、「野宿リスト」っちゅーもんがあるうんやで、知ってるか?持ってるか?もらわんかったんか?」
「この辺の野宿場所は、全部把握してる。知りたいか?」
「こんな所で寝んと、家に泊まりに来い。」
などと、有難くもあるが、彼の独特の押し付けがましさのようなものに警戒してしまった上に、本当に疲れていて眠かったので、全ての申し出を断ってしまった。
悪い人では決してないのだろう。お接待に添えず、すみませんでした。でも、あまりのあくの強さに、参ってしまいました。
2時間後くらいに、もう眠いというようなことを言って、ようやく開放してもらった。

…が、暑くて寝れない。寝袋のジッパーを全開にして毛布のようにしたらようやく寝付けそうになった。
…でも、車がけっこう通り、ヘッドライトがもろに小屋の中に入ってきて眩しい。しかも、顔は普通の雑種なのにコーギーみたいに短足な野良犬が、2匹も外をシャカシャカ走り回っていた。小屋の中には一切入ってこなかったし、覘きもしなかったけど、あまりに機械的でちょっと不気味で全然寝れない。そして、夜明け前には雨が降ってきた。

こうして記念すべき遍路第1日目の夜は更けた。

1日目 歩行距離 約8.5km
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9月24日(水) 2日目 野宿 (鴨の湯)

短足野良顔コーギー犬のシャカシャカに加え、車の音とヘッドライトで、結局ほとんど寝れないまま雨の朝が空けた。
雨は、シトシトと降り続いている。

5時半にはすっかり目が覚めてしまっていたので、昨日のおばさんが置いていってくれった水道栓を持ち、雨のなか顔を洗いに行った。
その後、昨日いただいたよもぎまんじゅうを2つありがたくいただき、小屋の中の掃き掃除をした。(正直、朝から甘いものはキツイな、とも思ったが、他に食べるものもない。食べてみると、美味しくて、体に力がみなぎるようだった。おばさん、重ね重ねありがとうございました。)
荷物を整え、ピロキから借りてきた自衛隊のポンチョをバックパックの上からスッポリかぶって、防水対策をし、6時過ぎに小屋を出発した。
おばさんに、会ってお礼を言いたかったが家もはっきり教えてもらっていなかったので、ノートをちぎってお礼を書き、水道栓と共に置いていった。
去る前に、小屋にありがとうございました、と一礼をする。
上坂の皆さん、ボランティアの皆さん、本当にありがとうございました!

さあ、今日は明日の難関、焼山寺に備えて11番付近までいくぞ!と意気込んで出発した。

6番へ向かう途中、雨の中集落内をてくてく歩いていくとしばらくして後ろからスクーターの音が聞こえてきた。
キッとその音が止まり、おじいさんが声をかけてきた。
「早いなー。昨日の小屋を覗いたら出た後やったけん、ここまで追ってきたよ。ちょっとお願いがあってね。」
違うことが後で分かるのだが、この時点では私はこのおじいさんを昨夜遅くまで小屋でしゃべっていたおじいさんだと思っていた。
だから(失礼なことではあるが、)ぶっきらぼうに、お話なら雨だし6番のお寺でお願いできませんか、と言ってしまった。
「ああ、そうだね。あそこには丁度休憩所もあるしね。じゃあ、先に行って待ってるよ。」
と、おじいさんはスクーターでゆっくり去っていった。

6番安楽寺前には、なるほど、立派な休憩所が建っていた。
そこに辿り着くと、おじいさんは既に中でベンチに腰掛けて待っていた。
「あー、ご苦労さん。雨じゃけん、大変じゃのう。」
おじいさんは、ゆっくりとしゃべりだした。
「実は、お願いがあっての…。…わしの娘の供養を、お願いできんじゃろか、と思っての。一人娘じゃったんじゃが、3年前に42歳で交通事故で死んでしまったんじゃ。これが、娘の写真じゃ。」
と、きれいに正装して椅子に座っている女の人のスナップ写真を私に渡してくれた。

あれ、昨日の晩のおじいさん、奥さんには逃げられたって言ってたけど、娘さんが亡くなったなんて話してたっけ?うーん、なんか胡散臭いなー。本当なのかなー。同じおじいさんだよね…?

なんてことを、写真をぼんやり見ながら、不謹慎ながら考えていた。
「若い女の子のお遍路さんを見かけたら、お願いしてるんじゃ。娘も、若い娘さんに供養してもらったほうが喜ぶじゃろうしのう。ここに、お賽銭が入っとるけん、これを使ってくれんか。」
と、ビニール袋に入った10円玉を10枚ほど渡された。

このあたりで、私のニブイ頭がカタン、カタンと動き出した。

あ、このおじいさん、八坂神社前で私に遍路小屋を教えてくれた親切なおじいさんの方だ!

「ほれ、炊いた栗も冷蔵庫にあったけん、持ってきた。冷たいままで申し訳ないけど、後で食べなさい。」
おじいさん違いだったことが分かると、急に今までのぶっきらぼうな態度が申し訳なくなった。

はい、一所懸命娘さんの供養をさせていただきます!、とおじいさんに誓った。

おじいさんは、その言葉を聞き、栗を私に渡すと、寂しそうな顔のまま、
「今晩は、11番藤井寺近くの鴨の湯に泊まるといいよ。温泉もあるし。気をつけてな。」
と言って、雨の中スクーターで帰っていった。
今までの私の態度が申し訳なくて、おじいさんの白く濁りかかった、遠くを見る目が悲しくて、おじいさんのスクーターが見えなくなるまで手を振った。

おじいさん、私しっかりやるからね。

はっ、私は経本すら持っていない!すぐにでも経本を買い、般若心経をお寺で唱えないといけない!と思い、急いで6番札所内へ向かった。

6番札所 安楽寺 5.3km(5番から)
求めている時ほど、欲しい物がない…マーフィーの法則通り、6番札所境内では経本が見つからなかった。仕方がないので、ご本尊の前で、自分のおばあちゃんのことをお祈りする前に、おじいさんの娘さんの御魂が安らぐようお祈りした。

7番札所 十楽寺 1.2km
ここのお寺でも経本は置いていなかった記憶がある。だが、この辺りで、雨が止んだ。

8番札所 熊谷寺 4.2km
このお寺は、仁王門がお寺からかなり離れた場所、高速道路を越えたすぐの辺りにある。
なかなか立派な仁王門で、素敵だった。
お寺の前には大きなアスファルトの駐車場があり、その手前にまた立派な納経所がある。
その前には休憩用のベンチが両側に沢山置いてあった。(熊谷寺さん、ありがとうございます。)
駐車場手前のベンチには、沢山の若い歩き遍路さんらしき人達と、今度は確かに件の小屋に遅くまで居座ったもう一人のおじいさんが座ってしゃべっていた。
私は、申し訳ないが、あのおじいさんが苦手なので、会釈だけして反対側の休憩ベンチに荷物を下ろし、今度こそ経本がありますように、と祈りながら本堂のほうへお参りに行った。

お参りから帰ってくると、香川出身の自転車で結願を終え、1番までお礼参りに向かっているというお兄さんがいた。お兄さんは特に先を急いでいないらしく、そこで20分くらいだらだら喋ることになった。
お兄さん曰く、遍路旅は、地元の人間とどれだけ関わるかが重要だ、とのことだった。
この時の私にはあまりピンとこなかったが、今ははっきりそうだと分かる。
「この旅で、いろんなヒントをもらったよ。帰ってそれを活かせるように、これからが頑張りどころだな…はは。」と、笑っていた。
それにしても、お兄さんはとにかく自分のことをしゃべるのに一生懸命だったので、私は最後のほうは本当に適当に相槌を打っていた。
今思えば、これが記念すべき『人の話を聞かないお遍路さん』第1号との遭遇だった。
しばらくするともう一人おじさんがやってきた。
これがチャンス、とばかりにお兄さんをおじさんに引渡し、私はトイレを借りにきれいな納経所へ入っていった。
トイレを済ませたところで、納経用カウンタの前に経本が販売されていたのを見つけたので、やったーとばかりに早速それを購入した。

9番札所 法輪寺 2.4km
ぽっかりそこだけ小さな森のようなお寺。
お遍路に出て、9番にして初めてきちんと般若心経を唱えた。
我が家は実家が真言宗なので、般若心経を唱えるのは別段苦労しなかったが、真言等はこの時点では唱えていなかった。
優しいおじいさんの娘さんの御魂の安らぎと、私のおばあちゃんの心へ光をお願いして終了。

集落内をしばらく歩き、10番札所へ向かうため、右に坂を曲がり少し歩くと左がわにうどん屋さんがあった。
その前を通ると、おばちゃん2人が
「10番は階段がきついから、ここにカバン置いて行きなさい~。」
と言ってくれたので、お言葉に甘えてバッグを置かせていただいた。
確かに10番札所は階段が多かった。
バッグを置かしてもらって大正解。
おばちゃん、ありがとうございました。

10番札所 切幡寺 3.8km
階段の横にスロープが設置してあって、足の弱い人でも上まで到着できるようにしてあったが、あえてここは階段で上る。
参拝を終わって、うどん屋さんにバッグを取りに行き御礼を言うと、
「あー、今ちょうどおはぎがあるから入ってらっしゃい。」
と誘われた。
今日はよほどのお餅日和なのだろう。
朝もよもぎ饅頭で、昼はおはぎって…
でもせっかくなので、中の椅子に座って休憩させていただいた。
きな粉のおはぎを2つ目の前に置かれたが、お腹が空いていなかったので1つしか食べることができなかった。
お接待を受けてばかりでも悪いので、お店で売っていたヤクルトを1本買った。
おばちゃんは、元々ヤクルトおばさんをやっているらしい。
お礼を言って、先を急ぐ。

10番から11番までは吉野川を渡って9kmあり、この頃の私にはまだ9kmは長かった…
まだ日差しが強く、昨日もお風呂に入っていないので、吉野川がきれいなら水浴びをしようと心に決めていた。
へろへろになりながら、吉野川を渡った。
残念ながら、水はそんなにきれいではなくヘドロのようなモノが所々浮かんでいたので水浴びは断念した。
それにしても、川を渡るときの橋が狭い沈下橋のような割には、車の交通量が多かった。
車が通ると歩行者は橋げたに上がらないと通れないくらいの狭さだったので、余計に面倒臭く感じた。
何とか川も渡り、右手に小さなお城を望みながら11番藤井寺のほうへてくてくと向かう。
192号線沿いに出た頃には、すっかり日が傾いていた。
でも、なんとか鴨の湯まで到着してお風呂に入りたいと思っていた。
国道沿いのスーパーで今晩の夕食を調達して外に出たとき、
「ご苦労様ですー!頑張ってください!」
と、お兄さんから缶コーヒーとお茶のお接待を受けました。
お兄さん、ありがとう!

ふらふらになりながら、鴨の湯に6時半頃に到着。すでに真っ暗。
ここは、徳島の善根宿で最高の場所だと言われている。
屋根と四方の壁に囲まれたきちんとしたこぎれいな小屋が2個あり、洗濯機・乾燥機、無料のレンタル自転車までお遍路さんのために置いてある。
全てこの町内のボランティアの方々や鴨の湯の職員さんたちが、お遍路さんのために管理してくれている。ありがとうございます。
しかし残念ながら、鴨の湯は水曜日が定休日になっていた!
お風呂に入れなくてがっかりしたが、畳の上で寝れるのはうれしかった。


私が到着したときには、バイクで日本一周をしている男の子1人と他に歩きのお遍路さんが2人、大きい方の小屋にいた。
もう一つの小屋が、今晩は女用になっているみたいだった。
歩きの女の子1人が既に荷物だけ置いて、丁度食事に出ていたところだった。
しばらくすると、近所の民宿で泊まっていた白人の歩き遍路の男の子が小屋に遊びに来た。
食事に出ていた女の子が戻ってきて、みんなで仲良くこの先の情報交換を始めた。
私は、疲れていたので輪には交じらず、話だけを聞いていた。
白人の男の子が後3日で遍路が終るのでこれあげる、と言って例の「野宿リスト」を女の子にあげていた。
これが私の初めての「野宿リスト」との出会いだった。
コンビニもなかったので、コピーもできず、少しだけ内容を地図に写させてもらった。
テントもあるし、このリストが無くてもなんとかなるだろう、と思って。

その夜は、安心して熟睡できた。
みんなの存在と柔らかい畳が、本当に有難かった…
今日出会った全ての方たちに幸あれ。

2日目 歩行距離 約23km

9月25日(木) 3日目 野宿 (杖杉庵にてテント泊)

いよいよ四国遍路最大の難関と言われている焼山寺へ。

6時くらいに目が覚めると、一緒だった女の子は既に荷作りを終えていた。
寝ぼけ眼で準備にかかり、7時過ぎくらいに鴨の湯を出発。
その時にはバイクの男の子しか残っていなかった。
朝ごはんを食べ、小屋の掃除をし、小屋に一礼して出発。

寺に近づくにつれ、ぱらぱらとお遍路さんに出会うようになる。

11番札所 藤井寺 9.3km
朝の藤井寺は、すがすがしい空気に包まれていた。
いつもと同じように参拝を済ませ、本堂横の山道から、いざ!

いきなり最初から坂がきつい。
私は、焼山寺への道をなめていたと思う。
登山経験はあるし、たいしたことはないだろうとたかをくくっていたら、とんでもなかった…
運動不足だった私は、昨日の白人のお兄さんを含めた3人のパーティーに抜かされ、距離を離されていった。
自分のペースで少しずつ行こう…

山道がいったん途切れ、林道にぶち当たる直前にベンチがあった。
そこに既に腰掛けている地元の人らしきおじさんがいた。
「ちょっと休んでいきなさいよ。」
そう言われて、私もベンチに腰を下ろした。
おじさんは地元の方で、大工をしているが、来週まで仕事が始まらないので今は時間を持て余している、と言っていた。
時間があると焼山寺までハイキングに行くそうだ。
今思うと、あの往復をハイキングだなんて、なんて健脚なんだろう。

20分ほどいろいろしゃべっている内に、おじさんと途中まで一緒に登ることになった。

山道の途中で、テントを張っているおじいさんに出会った。
「結願して今から1番に戻る途中にここで泊まったんだけど、荷物が重そうな人がおったからちょっとそこまで担いであげたんよ。」
と、気楽に言っていたが、すごいな~。
おひげが長く真っ白で、仙人のようなおじいさんだった。

おじさんと二人でひたすら山道を登る。
私のあまりのバテぶりに可哀相に思ったのか、おじさんが途中から荷物を担いでくれた。
ベンチを見るたびに休憩を取り、おじさんが肩や足のマッサージをやってくれる。
途中、おじさんの庭でなったというスダチや甘夏などをごちそうになった。
申し訳ない…おじさん、本当に、本当にありがとうございました!!!

最初の遍路ころがしの坂を下りると、柳水庵が見えた。
湧水が出ており、そこでのどを潤す。
おいしいくて甘い水だった。
おじさん曰く、昔はここにも水が湧き出ていたが、今はかなり上のほうから水を引いてきている、とのこと。
ここには、お遍路さんが宿泊できる通夜堂がある。
昔は人が常駐していたとのことだが、今は誰もいないので勝手に寝泊りできるようだ。

おじさんは、こともなげに私の荷物を担いでさらに山道を進む。
申し訳なくて、私が担ぎます、と言っても
「大丈夫、大丈夫、体だけは丈夫じゃけん」
と言って進んでいく。
おじさんの家には赤の彼岸花以外に、白と紫も植えていると言っていた。
赤以外の彼岸花なんて見たことない。見てみたいな。

行き倒れたお遍路さんのお墓を横目に、他愛の無いことをしゃべりながら上っていく。
道のはたには掘り返した穴がいっぱい開いていた。イノシシがえさを探すためにやるそうだ。
私は気づかなかったが、おじさんは蛇を2回ほど見つけていた。2匹とも毒があるタイプではなかった。
この山はキノコが豊富で、様々なキノコを見た。マツタケも生えているそうだ。
おじさんは、この山のことについてとても詳しく、話をしていて飽きなかった。
彼の人生話や、若い頃の話など、いろいろな話をした。
私が「竜馬が行く」を読んで、早く土佐を見たい、ということを伝えるとおじさんは、
「うーん。土佐はあんまり良い所じゃないよ。」
と、言った。
その時は、何を言ってるんだこの人は、を思ったが、今では彼の言った言葉の意味が分かる。

休憩を沢山取りながら、ゼイゼイハアハアまたしばらく登っていくと、今度は浄蓮庵、一本杉のある高台までやって来た。
こんな大きな杉は、今まで見たことがない。
すごい。
1本の杉が5本くらいに枝別れしているのだが、その1本1本が普通に生えている杉の何倍もの太さにまで成長している。
根っこのほうなど、5人でも囲めきれるのか疑問に思う。

どれだけの間ここに立っているのだろう。
どれだけの人々が行きかう様を見てきたのだろう。
世の中の移り変わりをどう感じて生きてきたのだろう。

杉の近くには、みょうがが沢山自生している。
もう午後2時くらいになっていたので、おじさんはここで引き返すと言っていた。
荷物も結局ここまで担いでもらってしまった。
本当に本当にありがとうございました!
早くおじさんにも良い人が見つかることを、心からお祈りいたします。

おじさんにお礼とお別れと言って、荷物を担いで一人歩き出す。
少し登っては休憩し、また少し登る。
あの坂の上まで。次の曲がり角まで。
お寺までの道のりを示してくれる江戸時代に建てられた丁石を頼りに進んでいく。
十八丁、十七丁…
そうやって登るうちに、ペットボトルの水が無くなってしまった。
5番付近の遍路小屋でもらった「空海の道」地図には、焼山寺に到着する前に、あと一つ湧水が示してある。
とにかくそれを頼りに進もう。

…だが、行けども行けども水場がない。

水~、みず~

と、ゾンビのように山を登っていくと、ぱっと目の前が開けて、おばさんたちの賑やかな笑い声が聞こえてきた。

ま、まさか!

森が切れ、目の前に石の壁が立ち並ぶ。
ア、アスファルトの道ずっと歩いていると、足首が痛くなるので土の道を歩きたくなるのだが、山深いへんろ道をしばらく歩いた後にアスファルトを見ると、「あー文明に帰ってきた~」と安心してしまう。
石の壁には仏様の像があり、その下から湧水が流れ出ている。
わき目もふらずに、その水を飲み、顔を洗った。
駐車場からお寺に歩いていたおばさんたちは何事かと思っただろう。

結局私が焼山寺に着いたのは、午後4時近かった。
荷物を持ってもらっても、8時間くらいかかった計算になる…
健脚で4時間、通常は6時間と言われている道なのに、お恥ずかしい…

12番札所 焼山寺
やっとの思いでたどり着いたので、山門での一礼も感慨深いものがあった。
「ようやくやって参りました。よろしくお願いいたします、」と。
空気がさわやかで、本当に気持ちの良いお寺だった。
本堂の脇からの景色も素晴らしかった。
時間も遅かったので参拝者もほとんどおらず、お腹が空いていたが境内のうどん屋さんも残念ながら閉店していた。
お庭では、何人かの大工さんが働いていた。
私が傍を通ると、一人の庭師さんが、
「歩いて登ってきたんかー。ご苦労さん!
5時には仕事が終るから、下まで乗せていってあげるよ。」
と、声をかけてくれた。
有難かったが、やはり歩いて下りたかったのでお断りした。
でも、ご親切に本当にありがとうございました。

さて、今晩の寝床を探さないと、と思いお寺を出発した。
下りの坂もキツイ。
しかも、先日の雨でまだ苔が濡れており足元が定まらない。
「野宿リスト」には、杖杉庵の近所に禅道場があって、泊めてもらえると書いてあった。
とりあえず、それを目指していこうか…
とぱたぱた山道を下りていくと、案の定グキッ、スッテーンと転んでしまった。
幸い捻挫はしなかったが、白いズボンがどろどろになった。
少し悲しくなったが、立ち止まっている時間はない。

焼山寺から1km離れた杖杉庵まで、なんとか到着した。
ここは、遍路発祥伝説のある地だ。
お大師さまへの施しを拒み、8人の子供を次々と亡くした右衛門三郎が、お大師さまへの許しを請うために四国を回り始め、21回目にしてようやくお大師さまに会うことができた場所だそうだ。
件の禅道場もすぐ見つかるだろうと思っていたが、看板らしきものもないし、隣の民家に人もいなかったので、尋ねようがなかった。
足も疲れていたので、もう杖杉庵でテント泊させていただくことにした。
お堂で手を合わせ、1晩の宿をお願いした。

この旅に出て、初めてテントを使った。
きれいではないが、幸いトイレも敷地内にあり、水も出た。
顔を洗い、足のマメの手入れ等を行い、明日の計画を立てた後、すぐに眠りについた。
今日出会った方々、本当に、本当にありがとうございました。

3日目 歩行距離 15.8km

9月26日(金) 4日目 宿泊 (プチペンションやすらぎ)

杖杉庵では、明け方より小雨が降り出した。
日が昇り、濡れたままのテントを軒下まで急いで運び、顔を洗い、カロリーメイトを朝食に食べた。
テントが少しでも乾くとよいと思い、軒下のベンチでゆっくりさせてもらっていた。

すると、マイクロバスが一台駐車場に止まった。
中から白衣を着たおばさん軍団がわらわらと降りてきた。
ガイドさんとおぼしき男の人が右衛門三郎についても伝説を大声で説明し始める。
こんな所に朝早くから人が来るなんて思ってもなく、テントも荷物も軒下に広げたままだったので焦った。
寝起きの疲れた頭であんまり会話をしたくない気分だったので、急いでテントをたたみ、荷物をまとめた。
荷物をまとめ終わるか終らないかのうちに、おばさん軍団がお賽銭をあげに、本堂のほうへ近づいてきた。
あっという間に、囲まれ、質問攻めにあう。
荷物をなんとかまとめ終わりポンチョをかぶり、本堂にお礼だけ述べ、急いで出発しようと石段の階段を駆け下りた。

その瞬間、階段前で飛んでいた2匹の大きなスズメバチを蹴ってしまった。
あっ、と思った瞬間右のふくらはぎ下に激痛が走る。
逃げようと小走りに走るが、追いつかれて次に右のひざ裏。
黒のパンツをはいてなくて良かった…なんてどうでもよいことが頭によぎった。
足は痛いが、おばさん軍団の中に戻って状況を説明したくなかったので、びっこを引きながら歩き続けた。

生まれて初めてハチに刺された…
ここは見渡す限り山。
小さな集落の中ではあるが、医者なんてとてもいないだろう場所だ。
あー、やばい。
初めてだからアナフィラキシーショック状態になることはないけど、4cmくらいのスズメバチ2匹だったし、大丈夫だろうか…
雨がしとしと降っている。
道端に屋根がある無人販売の小屋を見つけたので、軒下に座り刺された場所を見た。
真っ赤になって腫れているが、針も残っていないようだ。
携帯から家に電話し、ハチ刺されの対処法を聞いた。
ステロイドや冷やすための道具もないので、消毒用のイソジンをたっぷり傷口(3箇所刺されていた)に塗り、念のためイソジンの容器の口で刺された箇所を吸ってみた。
その後絆創膏を貼り、完了。
ひどくなるようなら、麓で病院にでも行こうと思いながら、再出発。
雨にハチ刺され…正直ちょっと泣きそうだった。

急なアスファルトの道を降りていく。
しばらくすると、足の痛みもそんなには気にならなくなってきた。
呼吸も正常だし、なんとかなるだろう。

地図を見ると、遍路道の入り口を2つ通り過ぎてしまっていたみたいだ。
それでもアスファルト道をしばらく降りると、神山温泉に向かう道と玉ヶ峠を越える道の分岐点に出た。
最初から神山温泉には寄る予定がなかったので、玉ヶ峠方面に向かう。
そう言えば、2日前鴨の湯で一緒になった須磨の女の子は、神山温泉の道の駅まで向かう、と言っていた(現在神山温泉の道の駅は宿泊禁止となっていると後で聞いたが…)けど、ちゃんと着けたのだろうか、などと考えながら峠への林道を登って行った。

しばらくすると、杉林の間を抜ける遍路道の標識と休憩用のベンチが現れた。
遍路道の右側にはきれいな沢が流れている。
雨は相変わらず降っているが、この辺の山は一旦中に入ると木々が雨をかなりしのいでくれる。
有難くベンチで少し休憩させてもらい、杉に囲まれた遍路道へと入っていった。

杉の枯れ枝や落ち葉のクッションのお陰で、雨の山道は全く滑らない。
私以外の人間の足音は全く聞こえない深い山。
見渡す限りの茶色と緑と、時々する小鳥の声。
しっとりと世界が濡れている。
心が落ち着く。
心細いなんて感じない。
不思議だ。

杉のトンネルを杖をつきながら、登っていく。
登りがきついことには変わりない。
でも、昨日の焼山寺に比べるとなんてことはない、と思えるくらいにはなっていた。

両側の低い崖に挟まれるような感じで、峠の道路が見えた。
昔の人間も、同じようにこの峠を見たのだろうか。
江戸時代の人が山道を普通に通っていた頃などには、もっと往来が多かったのだろうか…

峠のすぐ横には、大きなお堂のようなものが建っていたので軒下で休憩させてもらっていると、雨が止んだ。
ここからは、アスファルトの下り道を降りていく。

しばらく歩くと、景色が急に開けた。
眼下に見えるのは、鮎喰川の美しい青の蛇行。
ミカン畑と集落、そしてその透明な水のコントラストに息を呑む。
こんな場所に住むのも良いな、と思う。
002.jpg

更に山を降り集落を抜けて、ようやく鮎喰川沿いの県道に出た。
遍路を始めて4日目。一度もお風呂に入っていない。
遍路道は、鮎喰川にかかる橋を渡ることになっているが、その橋の下に降りれる。
我慢ができずに、そこで水浴びを決行することにした。
003.jpg
ここは、ごろごろの石さえ気にならなければ、テントを張るのにもってこいの場所だと感じた。

遍路道の橋を渡り、集落を抜ける。
県道に戻る直前に沈下橋を渡るが、そのすぐ手前が牛舎になっていた。
そこにいっぱい詰め込まれ、耳に認識標をつけた牛たち。
一匹の子牛のあきらめたような悲しい目が忘れられない。

県道を更に歩いていると、自動車の修理工場の前を通った。
「ちょっと休憩していかんか?」
と、工場の中のおじさんに声をかけられた。
ありがとうございます、お言葉に甘えさせていただきます、と軒先に荷物を置いて座ろうとすると、
「何じゃ。ちゃんと中に入って休みなさい。」
と言ってくれた。
仕事を中断してくれて、事務所まで案内してくれた。
「うちで作ったすだちを絞ったジュースなんよ。酸っぱいけど、元気が出るよー。」
と、二階から冷たいジュースとシロップを持ってきてくれた。
そのジュースは新鮮なすだちそのままの味がした。
本当に、おいしかった。
しばらくお話をしながら休憩させていただいて、自家製無農薬すだちを両手いっぱいほどいただいた。
おじさん、ありがとうございました!これからも美しい鮎喰川の側で、お元気で頑張ってください!

今晩は、ハチ刺されの足も心配だし、お風呂に入って洗濯もしたいので宿に泊まることにした。
県道沿いの「プチペンションやすらぎ」さんにお世話になることに決定。
ちょっと早めに歩くのを止める。
ここは、インターネットも無料で使用させてくれ、洗濯もお接待で無料(乾燥機は200円)・部屋は洋室で各部屋BT有・きれいな施設で満足だった。
二食付6,825円。お食事もおいしかった!
ありがとうございました。

鮎喰川、その付近の山々の自然が未来のお遍路さんのためにも残っていきますように。
ここに住む全ての命に光あれ。

4日目 歩行距離 14.5km

9月27日(土) 5日目 野宿 (文化の森総合公園)

「プチペンションやすらぎ」さんにて、お風呂に入り洗濯もし、ゆっくり休ませていただいたお陰で気分一新。
この辺りは、本当に水がおいしい。
水道水も山の湧水のような味がするので、水道水をペットボトルに詰めて出発した。
足も軽い。
今日は朝から快晴。
徳島の中心地を過ぎる予定で出発。
ペンションを出て、県道21号線を美しい鮎喰川沿いに徳島市へ向かう。
ここは、夏には徳島市内からキャンプなどに訪れる家族などが多いらしい。

しばらくすると、「おやすみなし亭」という遍路のための休憩所が見えてきた。
きれいな木造小屋の中に入ると、冷蔵庫とテーブル、そしてベンチなどが置いてあった。(ちなみにここは、宿泊禁止となっている。)
気温も高くなってきており、有難く冷蔵庫の中のお茶とテーブル上の飴をいただいた。
このような善根施設を、お遍路さんのためにボランティアで運営してくださっている地元の皆様に本当に感謝。
ありがとうございます!
ちなみに、ここで初めて「嘆きのへんろ道」と題された新聞記事を見た。
へんろ道沿いのゴミ問題について書かれた記事で、これからあらゆる遍路休憩所などで見ることになる。
実際に遍路道沿いにはゴミが多い。
お遍路さんのみが排出しているのでは決してないゴミも多いが、山道などはやはり心無い遍路が置き去りにしているのだろう。
数多い現代四国遍路の問題その1に向き合わされた初めての場所が、ここおやすみなし亭だった。

おやすみなし亭を出発し、県道を更に歩いていくといきなり県道沿いに13番札所が左手に見えた。
県道に面して山門があり、大きなお世話だが、少し情緒に欠けるお寺だな、という感想を持った。

13番札所 大日寺 20.8km
このお寺は、山門付近で休憩していた女の子のお遍路さんを見たことくらいしか印象に残っていない。
私以外で女一人のお遍路さんを見たのは、ここが初めてだった。
声をかけたかったのだが、構われたくないような雰囲気をかもし出していたので話かけなかった。
私が参拝を終らせるのと入れ替わりのような形で、その女の子は次の札所に向かって去っていった。

この辺りにはお寺が5つ密集している。次々とお寺を回ってしまうと、あまり一つ一つのお寺の印象が残らない。

14番札所 常楽寺 2.3km

この辺りの畑は、行き倒れたお遍路さんの墓やお地蔵さんなどがいたるところに残っていた。
しかも、それが畑のど真ん中に残っている場所なんてのもある。
そこだけ島のように残して、周りをキレイに耕しているのだ。
これにはビックリするのと同時に、お遍路さんを今でも大切にしてくれている徳島の人々の心を感じ、有難い気持ちで一杯になった。
道沿いにも多く残っていて、例え道に迷っても、地図がなくてもこの墓や地蔵石などを追っていれば次のお寺にたどり着けるくらいだな、と思った。

15番札所 国分寺 0.8km

16番札所へ向かう途中の国道192号線を少し曲がったところにある「いやしの里」といううどん屋が美味しいと聞いていたのだが、入ることができなかった。

16番札所 観音寺 1.8km

17番札所 井戸寺 2.8km
コンクリートが敷き詰められた味気のないお寺だった。
お大師さまが一夜にして掘られたという井戸にちなんでいる。
本堂の中で、無愛想なおばちゃんが販売していたお寺の手ぬぐいを、頭からの汗を止めるために購入した。
おばちゃんのあまりの愛想のなさに購入をやめようかと思ったが、汗が顔に流れでてくるのに辟易していたので、結局買ってしまった。

今まで少しずつ集積されていた88ヶ所霊場会に所属するお寺に対する疑問や不信感のようなものが、この辺りから私の中で具現化されるようになってきた。
遍路や参拝者、ひいては世の中全てに対する心遣いのようなものが全く感じられないお寺が多かった。
お遍路さんや参拝者の納経代やお賽銭などで、四国霊場の各寺は年間数千万から、多い場所では何十億円の収入があると言われている。
宗教団体であるため税金は払わなくてよいので、丸々収入として得ている計算になる。(親分・高野山への上納金は支出として存在するそうだ。)
だが、児童施設や動物愛護施設に寄付をするわけでもない。
地元経済や生活に還元しているわけでもない。
信者であるお遍路さんに対して、遍路道を整備する努力をしているわけでもない。
お寺の中にすら、雨の日に参拝者が使用できるような屋根付の休憩所もない。
人(や命)の痛みがわからないお寺があまりに多いのには、道中何度も悲しくなった。

だが、お寺がショボイからと言って遍路をやめる気は、もちろんない。
新しい手ぬぐいを額に結び、山門で一礼し井戸寺を出発する。
ここから、遍路道が地蔵峠越えと徳島市街を抜ける道の二つに分かれる。
人通りの多い場所を歩きたくなかったので、私は地蔵峠越えを選んだ。
地蔵院までは、アスファルトの道だった。
そこから山道のへんろ道へ入る。
この峠は、なんとなく今までの山と違って少し気味が悪かった。
特に何が違うわけでもないのだが、頂上付近が特に恐かった。
初めて少し心細いと思った。

一旦峠を抜けてしまうと、後はゆるいアスファルトの下り坂だった。
集落に入って少しすると、「八万温泉」の看板が見えてきた。
汗をかいたので、ここでお風呂に入ることにした。
受付の人の対応も優しくて、快適なお風呂だった。
風呂上りに受付の方にこの辺で野宿できる場所はないか聞いてみる。
すると、
「この先の文化の森でできますよ。
でも、若い人達がけっこう集まるんですよね。
ここでも閉店までTVでも見ながらゆっくりしてもらって、その後は駐車場でテントを張ってもらっても良いですよ。」
と、言ってくれた。
有難かったが、閉店まで起きていられるか分からなかったので、辞退させていただいた。
お兄さん、ありがとうございました。

そして文化の森へ向かう。
八万温泉から県道203号線沿いに歩いていくと、橋を渡った場所に文化の森はあった。
徳島県立博物館なども建設されている総合公園だ。
足も疲れていたので、入り口からさほど遠くない場所にある野外音楽上のトイレ付近の芝生の上にテントを張った。
文化の森
夕方に、見回りの警備員がトイレの点検にやってきた。
そのお兄さんには気をつけてね、と言われたが、その後に来たおじさんに、
「こんな所にテント張っちゃだめだよ!」
と言われた。
どうしてですか、と聞くと返答はなく代わりに、
「火だけは使わないでね!夜見回りに来るからね!」
と言って去っていった。
足の手入れと夕飯を済ませ、準備をして眠りについた。
星が美しい夜、誰にも邪魔はされなかった。

みんな、ありがとうございました。

5日目 歩行距離 25.4km
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