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はじめに

このブログは、これから四国遍路をやってみようかな、とお考えの方々、または計画は立ってないけどいつかは行ってみたいな、と思われている方々のお役に少しでも立てれば良いな、と思い立ち上げました。

お遍路の総数は、年間約30万人。
その中でも歩き遍路をされるのは、全体の1%の年間約3000人。
それでも最近は、健康のため、などという理由で増加傾向にあるらしいです。

(ちょうど私が回っていたとき、NHKBS放送の「街道てくてく旅」という番組で、卓球の四元さんが四国88箇所歩き遍路をされていたので、それが地上波放送されるとまた増えるかもしれないですね。)

その3000人の中でも、野宿をするのはほんの一握り。
ネットを見ても、野宿の情報がそんなに多いわけではない。(少ないけれど、私が参考にしたサイト様は、リンク集に張っています。)
旅のコストを削減したいのが大きな理由の野宿のために、わざわざ本を購入するのもいやだ、と私自身が思った上、実際、諸問題で野宿可能な場所は年々減っているようです。
それならば旬な情報を次のお遍路さんに提供したい、と思いたちブログという形式にしました。

お遍路は、本当に素晴らしい旅でした。
苦しいことも辛いことももちろんありました。
嫌なものも沢山見ました。
でも、それらをひっくるめても、今まで生きてきた中で、最高の旅でした。
遍路を見守り包んでくれる四国の人々の優しさと温かさ、真直ぐで澄んだ瞳を持つ歩き遍路の方々、そして見た数々の素晴らしい風景は、今考えても涙がでてきそうなくらい素晴らしいものがありました。

思い悩むなら、一度この旅に出てみてください。
お大師様の招待状は、あなたの目の前まで来ているはずです。
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発心

きっかけは、些細なこと。

会社をすこしの間休職していて、家からほとんど出ず生活をしていた毎日。
ある晴れた日に友人からのメールが届いた。

「四国の遍路でも行ってきたら?私の知り合いも昔行ったことがあって、良かったって言ってたよ~!」

前々から興味はあった四国の遍路。
丁度その時読んでいた「竜馬が行く」の舞台も見たかった。
奈良時代に行基が四国を歩いて結界を張ったという伝説も興味があった。
最近世界文化遺産登録のニュースも、ちらちら聞いていた。

それで、それだけで、火がついた。
思い立ったら吉日。

今思えば、それが私へのお大師様からの招待状だった。

基本装備 その1 ‐靴‐

まず一番大事なことは、靴。

どこのサイトに行っても、どの本を読んでも、必ず強調している基本中の基本。
まずこれがきちんとしていないと、この旅はほぼ1週間以内で失敗に終わる。
旅の途中で会った人たちのほとんどが、トレッキングシューズだった。
でも、別に高いトレッキングシューズを買わなくても良い。
私は、3年くらい普段から履いていたナイキのスニーカーに、中敷にジェルクッションを別途購入して挑んだ。

最初に大事なことは、その靴がどれだけ足に合っているか。
一日目からマメはできる。
一日10キロとか普段から毎日同じ靴で歩いている人で無い限り、絶対マメとはお友達にならざるを得ない。
実際、私も最初の2週間ほどは、マメの手入れが毎日就寝前の日課だった。
お遍路中にたった一人だけ、マメなんてできなかったよ~っておじさんに会ったが、それは特殊な例だと思う。
夜、同じ野宿場所や宿に泊まった人達とも、マメの苦労話を笑いながら沢山した。
しかし、やはり靴がどれだけ足にフィットしているかで、最悪の苦労を免れるかどうかの分かれ道になっていたと思う。

次に、クッション性。
これからお遍路に挑もうとする方は、まだあまりピンとこないかも知れない。
でも、毎日20キロ~30キロ(多い人で40キロ)を1ヶ月以上歩くのは、足に想像以上の負担をかける。
しかも現代お遍路さんは、残念ながら大半をアスファルトの道を歩かなければいけない。
ある説によると、遍路1200キロのうち9割がアスファルトだという。(私は、山道がきついので、アスファルト70%くらいに体感したが…)
普段あまり意識しないと思うが、アスファルトは堅い。
当たり前だと言われそうだが、土の道とアスファルトを交互に歩いていくと、アスファルトがどれだけ足首に負担をかけているかが、体感できる。
また、土の道でも、山のくだりがキツイ場所が多く、ひざが痛くなった。
クッションがきちんとしていないと、確実に足首・ひざが痛む。
高知で知り合ったフランス人のおばあさんは、足の痛みを訴えて途中でフランスに帰ってしまったけれど、疲労骨折だとパリで診断されたと手紙がきた。
実は、私も遍路から帰った今でも足の痛みが取れていない。

だから、発心したら、まず靴を考えること。
新しく靴を買うなら、1ヶ月ほどその靴で足慣らしをしておくこと。
山登りをしてみたり、5キロくらい歩いてみるのも良いかもしれないが、そんなことは私は出発前にはやらなかった。
やっていれば、良かったんだろうと思うが、やってなくても全部回れた。
でも、だからこそ帰って3週間近く経過した今でも足が痛いのだろう…
皆さんは、気をつけてください。

基本装備 その2 ‐応急手当て用‐

靴の次に大事なことは、毎日使用する傷の応急手当て道具一式。

最初のうちは毎日マメができる。
でも、マメは消毒した針で潰し、水を抜き、消毒してテーピングで巻いて固定すれば、次の朝には痛みはなくなっている。
ここで重要なのが、間違ってもマメの皮を剥かないこと。
剥くと痛くて歩けなくなるので、要注意。
その部分が固まり堅くなれば、よっぽど靴が合っていない限りその部分にもうマメはできない。
それを積み重ねて、驚くほどカチカチの足ができれば、無敵の遍路足の完成である。

次に最初から最後まで、体のどこかに痛い部分がある。
これは22歳の男の子でも言っていたから、間違いない。
特に足首、ひざ、股関節、腰、肩。
野宿遍路は、毎日10キロくらい(多い人で17キロ!)の荷物を背負って20~30キロ歩くのだから、体もがたがたになる。
そこで、湿布。
しかもにおい控えめとか、目立たないとか、そんな甘っちょろいやつではなく、白くてくっさい湿布を用意されることをお勧めする。
それを体中に貼って寝ると、翌朝少し楽になっていることが多かった。

以下が私が持っていった道具一式。

・ テーピング 1巻(ピップのキネシオロジーが一番良かった。最終的には、5mのテーピングを2.5本ほど使った。1gでも軽くするために、芯は抜いていく。)
・ 針 1本
・ 針を消毒するライター 1個
・ 消毒薬 (マキロンとかよりも、私のお勧めは、イソジン!一本で消毒もできるし、うがい薬にもなる頼もしい相棒だった。リンク集に掲載している超お役立ちサイト「お遍路情報」で仕入れた情報です。イソジンすごい!お遍路情報様、ありがとうございました!)
・ 絆創膏 20枚ほど
・ トイレットロール 1本 (マメの水、イソジンを拭くのに重宝。そのほかにも、ペーパーの無いトイレや、トイレが無い場所で活躍しました。)
・ 湿布 (私は「サロンパスAe レギュラーサイズ」の80枚入り1箱をまず持っていったが、最終的に3箱使用した。)
・ ハサミ (テーピングをカットするため。小さくて重くない裁縫用を用意した。多機能ナイフについているのであれば、それを使用。)
・ アンダーラップ 1本(肌がかぶれ易いので、持って行った。結局1週目で送り返してしまったのが、後々送り返さなきゃよかったと思った品。痛む足を湿布とテーピングで固定している上に汗をかいて、かぶれてしまったことが多発した。)

基本装備 その3 ‐地図‐

これが先か、靴が先かは議論が別れるかとは思う。

なにしろ、歩き遍路の99%がバイブルとして毎日最低10回は見開いて使用する本が、「へんろみち保存協力会」が編集・発売している「空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人」。

四国遍路ひとり歩き同行二人
(使用後なので、ボロボロ…)

中は、こんな感じ。
四国遍路ひとり歩き同行二人 中身

昔ながらの山を通る遍路道に加え、山道はこりごり、というお遍路さんのために国道などの道も示してある。
私は、できる限り旧遍路道を通りたかったので、特にこの本は重宝した。

これを使用していない歩き遍路さんを一人だけ見たことがあるが、ほんとにその人以外全員の歩き遍路さんがこれを持っていた。
そして、情報交換も「~ページの…」という具合に、この本を基本にして話をした。

だが、1冊2,500円もする。安くはない。中には「独占商売で、汚い」なんてことを言うお遍路さんにも出会ったが、今の遍路道は、この人達のお陰で歩けるものになっていると、私は感じた。
遍路道の至る所に、この歩き遍路マークのついた標識や矢印を立ててくれている。
この協力会は、ボランティアで草刈や道の保全、地元住民への協力呼びかけをしてくれている。
その整備された道を歩かせていただく為の感謝の表明だと思えば、私は料金うんぬんの問題じゃないと思った。
実際このマークか赤い矢印をしばらく見ないと不安になるくらい、現代遍路の一部となっている。
私の意見では、是非購入すべき必須アイテム。

これの解説編(1,000円)は、お遍路への心構え、歴史、各霊場・番外霊場のゆかりや遍路の作法などについて細かく記してある。
決して野宿情報なんかが載っているわけではない。
興味のある方は、購入すればよいが、私は買わなかった。
これを置いてある親切なお宿で読ませてもらったが、私にはそれだけで十分だった。

出発前に、一度全てのページに目を通し、予習してみた。
私は観光も兼ねたかったので、持っていた四国のガイドブックに照らし合わせてながら、観たい施設や食べたい食べ物、日帰り温泉などの場所と情報ををこれに書き込んでから出発した。
この本の欠点は、北が常に上向きで表示されていないこと。
ガイドブックの地図とつき合わせて場所を確認するのが、非常に苦痛だった。
だが、実際に旅に出て慣れてくるとそんなことは気にならなくなった。

基本装備 その4 ‐宿泊道具‐

そして次に大切なのが、体力を回復するためでも重要な宿泊道具。

基本的に全てお宿で泊まることを考えている方々は、必要な宿泊道具なんてそんなにない。
ほとんどの宿ではタオル、洗面道具、浴衣など揃っているからだ。
(ただ、私が泊まった民宿の中には、洗面道具、ましてや浴衣すら無い場所もあったので、やっぱり四国はあなどれない。)
私の体験から言うと、ずばり宿は体力を回復できる。
大師堂や善根宿で、同宿のお遍路さんがいる場合はそうでもないだろうが、やっぱりテント泊では私の体力は、100%回復しなかった。
だから私は野宿2~3、宿1くらいの割合で進んだ。
宿に泊まった次の日は、体と足が軽く長距離を苦もなく歩けた。
自分の体力などを考えて、臨機応変に無理せず進んでいくのが一番だと思う。
ただ、全て宿泊で遍路を済ますには、約40~50万円の費用がかかるといわれている。
一泊(二食付き)6800円x最低40日(27万2千円)+納経代(300円x88=2万6千4百円)+昼食代+諸費用だ。
今最も贅沢な遍路といわれているのが、全宿泊の歩き遍路だ。
私の場合は、野宿に宿泊を2:1くらいで加えて最終的に約15万円くらいの費用になった。

前置きが長くなったが、以下が私が実践した野宿の宿泊道具。

基本は、もちろん寝袋。
夏は必要ないらしい。軽いブランケットのようなもの1枚あればよいと思う。
でも私の遍路は、11月末に終わった。その頃は、世間はすでにダウンジャケットやマフラーを着用していたくらいの寒さで、朝晩は本当に寒かった。
私が持っていったのは、Colemanのコルネット/0 (1.3kg)。
寝袋
9月23日に遍路を始めた頃は、これは暑かったので、ジッパーを全開にして毛布のように使用していた。
足と両腕を出すこともできるので、寝袋のなかに入ったまま移動できるところは有難かったが、10月終わりにもなってくると、この寝袋の肩口についてる黒い通気部分から冷気が入ってきて、寒くて寝れなくなった。そこで、その部分を縫い付けて、ようやく温かく寝れるようになったが、晩秋からの遍路には、これは向いていないと思った。ってか、そのままでは0度には対応できてない。

次は、快適さだけではなく、防寒のためにも寝袋の下に引くマット。
私は安い銀マットを持っていったが、これは失敗。
高い値段でも、もっと機能性の良いものを持っていくべきだった。
体があんまり痛くならない人や、慣れている人には十分だろう。
私は、寒さはある程度防げたが、腰が痛くて寝れない夜が続いた。
お勧めしたいのは、空気が自動的に入るエアマットや、ウレタンなどを使用しているマット。
もしまた野宿旅に出るなら、ちょっとお金をだしても、重量があまり変わらない高性能マットを絶対購入しようと思う。
眠れなければ、体力は回復しないので、次の日も距離を歩けない。

3つめは、お遍路では必要ないといわれているテント。
善根宿などのことは、ネットなどでの情報収集で知っていたが、私は遍路として四国の人々の思いやりと優しさをあてにして旅をしたくなかった。
そういった施設に、旅の途中で導きがあって泊まるのであれば、有難く泊めさせていただこうと思っていたが、最初から自分の費用削減・快適さのためにそれに頼って遍路旅を歩きたくなかったので、敢えてテントを持って行った。
善根宿に泊まるお遍路さんも、それを最初から予定にしているお遍路さんも悪いとは全く思わない。
遍路には、それぞれの人の形があり、それぞれの方法で巡る旅だと思う。
私はただ単に、それが甘えにつながると自分で感じたから善根宿は予定には入れていなかっただけだ。
また、テント泊のメリットは、気ままに予定が組めるということにもある。
善根宿や大師堂は、どこにでもあるわけではない。
よって、自然と一日に歩かなければいけない距離が決まってしまう。だが、テント泊だと、基本住民の迷惑にさえならなければどこでも寝れる。「あ、今日歩けない」と思ったら、距離を短くできる。「今日は調子がいいな」と思ったら、距離を伸ばすことも可能だ。

で、私が持っていったテントは、バックパッカー1人用テント Colemanのアビアーx1 (1.95kg)。
テント
これは、本当に寝るだけのテント。中で座ることもままならなかった。
基本ペグで立つようになっているが、東屋などでもヒモをくくる場所さえあれば立ったので、慣れた最後の方には不便はなかった。(最初はくくる事を考えつかなくて、不便だなと思ったが…)
でも、次回はやっぱり中で座れる2人用くらいの自立型テントを購入すると思う。

そして、野宿には必須のヘッドランプ。
夜、明かりが無い場所で地図を見たり、テントの中に引っ掛けてライトにしたり、と大活躍してくれた。
基本的にLEDのライトであれば、電池消費量も少なく明るいので十分だ。
手で持つタイプより、やはり頭に装着できるタイプのほうがはるかに便利である。時間計算が狂い、夜暗闇の中を一人遍路道で歩かなければいけないことも出てくる場合がある。そのときは、やはり両手が空いているほうが安全だし、地図も見やすい。
私が持っていったのは、700円くらいでホームセンターで購入した3段階の明るさになり、角度も調節できる、21灯LEDヘッドランプ。単4電池3本で1ヶ月は持ちました。
ここで注意したいのが、電池の種類。他にラジオなどの電池を使用する道具を持っていこうと思っている方は、電池の種類を揃えたほうが、荷物の軽量化につながる。

最後に、最初は恐くてつけようとも思わなかったが、最後的には必須道具として役に立ってくれた耳栓。
旅に慣れてくると、恐さとか安全性よりも、その夜寝て体力回復できるかのほうが、はるかに重要になった。
そして、これなしでは県道沿いなんかで寝れなかった。
耳栓さまさま。

基本装備 その5 -バッグ‐

背中に毎日背負うバックパック。
これもものすごく重要。
ちょっと値段は張っても、きちんとしたバックパックを購入した方が、歩きやすさも肩の痛みも断然違う。
30リットルくらいがちょうど良い大きさではないかと思った。
45リットルの大きなバッグを背負っている猛者もいたが、30リットルを超えると菅笠がかぶれない。

私が使用したのは、Millet Ecrins 30 (1.5kg)。
バックパック
こいつは優れ者だった。今後の旅にも是非愛用したい相棒になった。

まず優れモノ その1
背中に当たる部分についているメッシュ上のベンティレーション機能。
毎日背中にタオルがずぶぬれになるくらい汗をかいたが、これがついているお陰で、背中がベトベトしなかった。
クッション性にも優れていて、背中が痛くなることは全くなかった。

優れモノ その2
肩のストラップ。
クッション性に優れていて、普通のリュックサックとは違う。

優れモノ その3
ウエストベルト。
クッション性に優れていて、しっかりと重さを肩と腰に分散してくれていた。
メッシュもついているので、汗で腰が蒸れることがなかった。

とは言っても、人の体系などにより合うバッグ、合わないバッグ等あるので、一度お店で試されるのが一番よいと思う。
試し方は、「お遍路情報」に書かれていることを参考にされるのが、一番確実だと思う。
(私はそんな面倒くさいことはしていなくて、たまたまネットオークションで落としたこのバッグが良かっただけのことだが…)

基本装備 その6 ‐巡礼用具‐

さて、ようやく四国88ヶ所のメイン(?)お寺の巡拝道具です。

私は、遍路に最低必要な衣装を四国お遍路.comで事前に購入して臨みましたが、やはり1番札所霊山寺で購入する人も多いようです。
事前に購入するメリットは、やはり旅に向けて巡拝道具にも下準備ができるということです。

私がまず事前にネットで購入したのは、
・ 笈(おい)づる(白衣(びゃくえ)の袖なし) 1,600円
・ 鈴つき金剛杖 1,000円
・ 菅笠(中) 1,500円
・ 山谷(さんや)袋 (頭陀(ずだ)袋) 1,000円
・ 納め札 200枚 100円
です。
それからホームセンターに行って、
・ 線香
・ ろうそく
を買い足しました。

これらに、以下の下準備を施しました。
・ 笈づる ‐バックパックの肩ストラップが当たる部分に肩パッドを縫い付けました。
笈づるパッド
・ 金剛杖 ‐お遍路情報さんに掲載されているとおり、反射テープを5枚まきつけ、ロープでグリップをつけました。
お杖さん
・ 菅笠 ‐同じく五徳をロープで補強し、ヒモをきちんと取り付け、反射テープを2枚前と後ろに貼り付けました。
菅笠
・ 納め札 ‐自分の住所(最近は、住所全部まで書かずに町名で止める人が増えているようです。)、名前を20枚くらい書いておきました。日付に関しては、お寺に納めるものは私は吉日で済ませました。

基本装備 その7 ‐まとめ‐

基本的に、お遍路情報さんで、見ていただければ、こんな装備のカテゴリーは要らないだろうけれど、一応実践者の記録として。

最初からの装備。
・ 半そで肌着 1枚
・ 半そでTシャツ 1枚
・ 首に巻くタオル 1枚
・ コットンのズボン 1枚
・ 下着&5本指靴下
・ ナイキのスニーカー
・ 肩パッド付笈づる
・ 菅笠
・ グリップ付金剛杖
・ 頭陀袋 (キャッシュカード、クレジットカード、保険証、免許証、財布(荷物削減のため、コイン入れに札も入れて使用)、携帯電話、ひとり歩き地図にガイドブックの地図をはさんだもの、納め札、ペン、納める浄財5円玉10枚、水の500mlペットボトル、スナック)

最初からの持ちもの。
・ テント
・ 寝袋
・ 銀マット
・ 雨具用ポンチョ
・ 菅傘用カバー
・ 着替え(下着・靴下 各2枚づつ、即乾性半そでTシャツ1枚、半そで肌着1枚、長袖シャツ1枚、白ズボン1枚、寝巻き用フリースパンツ1枚、ウィンドブレーカー1枚)
・ 替えのタオル 1枚
・ 薬(湿布などの応急用)一式
・ トイレットペーパー 1ロール
・ 洗面セット(洗顔フォーム小1本、歯ブラシ、歯磨き粉、シャンプー、コンタクトレンズ用洗剤、コンタクトレンズケース)
・ 身の回り品(ウェットティッシュ、ハンドクリーム、リップクリーム、つめきり、毛抜き、手鏡、日焼け止め)
・ メガネケースに入ったメガネ
・ ヘッドランプ
・ 単四電池 12本
・ 多機能アーミーナイフ
・ 常備薬(甲状腺を過去に切除しているので、、毎日飲まないといけない甲状腺ホルモン薬40日分)
・ 常備食料(ソイジョイ、カロリーメイトなどトータル3日分くらい)
・ 線香・ろうそく・ライター
・ ロープ5mほど
・ 携帯電話の充電器
・ グラノラとドライフルーツを混ぜたもの
・ 箸とスプーン
・ 針と糸
・ 45リットルのゴミ袋 2枚
・ 家の鍵
・ iPodとアダプター
・ 日記を書くための小さなノートとペン
・ 洗濯ばさみ 6個
・ 洗濯洗剤 4パック(洗濯機は必ずと言って良いほど宿についているが、洗濯洗剤はお接待で置いていてくれているところと、そうでなく、一すくい50円というちょっとそれは高いんじゃない?という値段を取るところまで様々である。宿に一切泊まらない人は、コインランドリーを使用していた。(最近のものは、洗剤が自動で投入されるものが多いみたいなので、その場合も洗剤は不要だろう。でも、コインランドリーもそんなにいっぱいあったわけではない。)ただし、野宿の猛者は、道の駅などで洗濯を手洗いして、移動中などに乾燥させていたようだ。)

第1回目(1週間目)に、重さに負けてゆうパックで送り返したもの。
・ 長袖シャツ1枚、寝巻き用フリースパンツ1枚
・ 洗濯ばさみ 4個
・ 洗濯洗剤 4パック
・ 手鏡
・ 日記を書くための小さなノートとペン
・ 応急手当用のアンダーラップ (後に後悔する)
・ 単四電池 8本
・ iPodとアダプター

第2回目(冬装備への変更時)送り返したもの。
・ 即乾性半そでTシャツ 1枚
・ 半そで肌着 2枚
・ 白ズボン 1枚 (このナイロンの白ズボンは、汚れは目立つし吸水性も悪いし最悪だった。)
・ メガネケース

途中買い足したものなど。
・ 消耗品 (常備食料や応急手当用品など)
・ 経本 (2日目)
・ 汗止め用の手ぬぐい(1週目)
・ 耳栓
・ 輪袈裟
・ 鉛筆 1本
・ ペン 1本
・ 耳かき 1本
・ ネコのえさ
・ 使い捨てカイロ
・ ヒートテック下着 2枚
・ マイクロフリースブランケット 1枚
・ マイクロフリースジャケット 1枚
・ 靴下 2足
・ 手袋
・ ネックウォーマー
・ 温かい靴下
・ 常備薬
・ iPodとアダプター(一度は、甘えるな、とつき返したiPodですが、やはり私には音楽は必要でした。)

これら全てのものを、防水とコンパクト化を兼ねて、ジップロックの袋に小分けに詰めて装備完成。

重量約12キロ。

基本装備 その8 ‐番外編‐

もう一つだけ、重要なこと。
ゆうちょ銀行の口座を事前に作っておくこと。

四国のコンビニには、まだまだATMが設置されていない場所も多かった。
コンビニそのものがない場所なども多かったので、一番役に立ったのが郵便局だった。
郵便局・簡易局は、どんなに小さな町にでもあった。
ただ、大きな都市でない限り土日はATMすら使えないので、注意。

ゆうちょ銀行の口座がないと、大きい額を持ち歩くことになる場合もあるので、野宿では精神衛生上良くないと思う。

リンク その2 ‐準備や質問など‐

旅の支度をする上でお世話になったサイトさま。

お遍路情報
http://www.ohenro.info/index.htm
(装備や情報に関して、一番お世話になったサイトです。ありがとうございました!)

旅ネット四国
http://www.junpai.co.jp/
(Q&Aなども豊富。ネット販売もされているようです。)

四国八十八箇所 お遍路ポータル
http://88.portal2.jp/
(お遍路掲示板や用語集もあり。)

リンク その1 ‐装備‐

まず、私が遍路を始める前に道具をそろえた場所:

へんろみち保存協力会
http://www.iyohenro.jp/
(地図の通販もしていて、私は地図をここから購入しました。)

四国お遍路.com
http://www.459ohenro.com/
(笈づるなどの巡拝用品を購入させていただきました。)

この他にも四国発の巡拝用品ショップなどもいろいろあるようですので、検索してみてください。

リンク その3 ‐野宿‐

遍路で野宿についての情報収集に利用させていただいたサイトさま。

へんろ部 部室
http://www.88henroclub.com/index.html
(温泉や、テント泊用地の場所などで、このサイトにはお世話になりました!現在でも頻繁にupdateされており、テント泊だけではなく、野宿歩き遍路全般に「使える」サイトです。)

いさじろうさんのブログ 「四国歩き遍路の旅」
http://watagonia.com/ohenro/
(実際にいさじろうさんがお遍路に出られた旅の記録です。でも、残念ながら、12月17日時点では未完成。)

掬水へんろ館
http://www.kushima.com/henro/
(Q&Aやら、経験者からの助言なども掲載させています。雑学的にどうぞ。)

その他いろいろブログなどあるようです。検索してみてください。

私個人の遍路旅の基本マナー

発心の動機は何であれ、遍路とはものすごく個人的な旅だと思う。
でも、どの旅でもいえることではあるが、その土地で日常生活を営んでいる人が沢山いる中にお邪魔している、という感覚を忘れたくないと思っていた。

以下が私が行っていた基本のマナー。

1.ゴミは絶対にポイ捨てしない。
 これは、別に旅でなくても常識の範囲だと思う。悲しいことに、その常識が守れない人が多く存在することに、唖然とする。車で回る遍路さんが目の前で窓から捨てていったとかいう話は良く聞いた。明らかに地元の人が捨てているだろう、これ、というようなゴミも、ほとんど全域で目立つ。
 ぶっちゃけ、私が出会った歩き遍路さんで、ゴミのポイ捨てをするような人は一人もいなかった。でも、「嘆きの遍路みち」と題された新聞記事を、遍路小屋などでよく見かけた。この記事に対しては、歩き遍路だけのゴミじゃないものも多く含まれている気がしたが、実際に遍路しか通らないような山の中でもゴミが落ちていたから、やはり歩き遍路でもポイ捨てする輩がいるからなのだろう。現代遍路の大問題である職業遍路は、ゴミはポイ捨て、置き去りにしても、基本面倒くさい山道なんてもう通らないから、山道のゴミはやはり普通の歩き遍路の仕業としか思えない。
 ゴミは、生ゴミも含め必ずビニールに入れて、面倒くさいけど、荷物が1gでも増えるのは嫌だけど、次のゴミ箱まで持っていく!これは、基本中の基本でした。私は、ビニールをバックパックの手の届くところに、次のゴミ箱が見つかるまで解きやすいようにしっかり結びつけていました。こうすると、そんなに苦でもなかった。

2.十善戒をできるだけ守る。
 十善戒とは、
  1.不殺生(ふせっしょう): 殺生しない(肉を食べないことも含まれる)
  2.不偸盗(ふちゅうとう): 盗みをしない
  3.不邪淫(ふじゃいん): 邪淫(エッチなこと)をしない
  4.不妄語(ふもうご): 嘘を言わない
  5.不綺語(ふきご): おべっかを言わない
  6.不悪口(ふあく): 悪口を言わない
  7.不両舌(ふりょうぜつ): 二枚舌を使わない
  8.不慳貪(ふけんどん): 貪らない
  9.不瞋恚(ふしんに): 怒らない
 10.不邪見(ふじゃけん): 邪な考えを起こさない
のことである。遍路だけではなく、私のおばあちゃんの話では、真言宗では日常の教えらしい。

3.肉を食べない。お酒を飲まない。
 不殺生の観点からも、とりあえずお肉は牛・豚・鳥・いのししなどどれも食べない。魚も、と言いたいところだが、四国遍路最中にそれをやるとうどんすら食べられないので、食べられるものが無くなってしまう。よって、旅の間は肉食のみ禁止。お酒は、一応この遍路は修行の旅でもあったので、禁止。

4.使わせてもらった施設は、来たときよりも美しく。
 大師堂を使わせてもらった次の日は、出る前に必ず掃除をした。次に利用するお遍路さんのため、そこを利用する地元の方々のために、自分が利用した状態と同じか、それよりきれいに利用したかった。本当の純粋な善意で泊めてもらった場所。これからもその場所も、そこをボランティアで管理してくれている人々の心も大切にしていきたいと思った。
 基本テント泊のときは、テントで潰れた草以外は残さない。その他の野宿のときは、糸くず一つ残さないで出発することを基本としていた。

5.出会う人には、基本挨拶をする。
 社会の基本!でも悲しいことに、都会や、中途半端な町では挨拶をしても無視されることが多かった。いい年をした大人でも無視していく。こりゃ子供も挨拶しなくなるよなー、と思った。だが、田舎のほうでは、向こうから挨拶をしてきてくれることも多かった。やっぱり挨拶一つで、気持ちはよくなるので、無視をされてもできるときはやろうと心に決めていた。

6.宿に泊まる場合の予約は、最低でもその日のお昼くらいにはする。
 宿によっては、前日までにお願いしたい、ってところもあるけれど、歩き遍路にはそれは未知数との戦いでもあるので、慣れない最初のうちはやらないほうがいいと思う。その日のお昼、最低でも2時までには連絡をしようと決めていた。一回だけ、夕方になって気持ちが折れてお宿に無理言って直前に電話して泊めていただいたことがあったが、申し訳なくて二度としたくないと思った。

6.感謝の気持ちを忘れない。
 「人へ施した恩は水に流し、人から受けた恩は石にしっかり刻んで忘れない」というような遍路札をいくつも見た。本当にそのとおりだと思った。

遍路の基本マナー

遍路としての基本マナーなんて特殊なものもあります。

1.橋の上では杖はつかない。
 これは、十夜が橋の橋下でお大師さまが野宿され一晩を明かしたことから、今でも橋の下にはお大師さまが休んでいると言われているため。はい、現実的に考えると、馬鹿馬鹿しいです。でも、伝統の一部です。私は、これを行うことで、自分が遍路なんだという自覚が生まれました。そのうち、お杖さんを持っていないときでも、橋を渡るときには自動的に構える癖までついてしまいました。

2.お接待はできるだけ断らず、感謝の気持ちを大にして受けとる。
 有難すぎて、受け取りにくいお接待もありました。でも、お接待は地元の方々の先祖供養の一部でもあります。お接待を受け取った方々全ての気持ちと共に、四国を遍路していくような気持ちで受け取らせていただきましょう。

3.お接待を受けた方には、自分の納め札をお渡しする。
 お接待をよくされる方々は、納め札だらけになります。「処理に困ってしまう」などというお接待をされる方の話を聞いた、などと聞きくこともありましたが、ほとんどの方は大切に受け取ってくださいました。ぺらぺらの白いお札でも、全部大切に壁に飾ってくれている方々も沢山いらっしゃいました。錦のお札でないといらない、なんて言うのは聞いたことがありません。白くても、気持ちが大切です。お札を渡すということは、その方の代わりとなってお遍路さんが四国を巡礼することの表れですから。

基本用語 ‐全般編‐

遍路には、独特の言葉がある。
遍路として歩いているうちに自然と覚えるものではあるけれども、事前にある程度は学習していったほうが、良いこともあると思った。

お四国さん(おしこくさん):
お遍路さんと同義語。四国88ヶ所巡礼者のこと。

お大師さま(おだいしさま): 
讃岐善通寺付近で生まれ、42歳のときに、民衆を救うために四国88ヶ所霊場を開いた空海(弘法大師)のこと。彼自身も、20代の時に修験で四国を巡っている。

同行二人(どうぎょうににん): 
遍路の道のりは、常にお大師様と一緒に歩いているものとされ、一人で歩いていてもお大師様との「同行二人」とされている。

お杖さん(おつえさん):
金剛杖にはお大師さまが宿り、それと共に同行二人していることになるので、親しみをこめてお杖さんと呼ぶ。お杖さんは、私の良き相棒でした。寝るときもテントに入れて、宿でも必ず洗って拭いて同じ部屋で寝ていました。お杖さんと一緒だと思うと、山道も全く恐いと思わなかった。

お接待(おせったい):
四国では、大師信仰の信者代表である歩き遍路に施しをすると、自分の先祖供養につながるという考えが古くから根付いており、歩いていると本当に様々な方々からお接待を受ける。休憩施設の提供であったり、お茶や飲み物の提供であったり、形は様々だが、四国の方々の優しさには、時に本当に涙が出た。

納め札(おさめふだ):
各札所で納める札。お接待をしていただいた場合にも、四国遍路をあなたに代わってさせていただきます、という意味もこめてお渡しする。遍路同士では、名刺代わりに交換する。最近は、住所を全部書かないお遍路さんが増えているが、知り合った良い仲間や地元の方々とは、後でお礼状交換をしたり、交流をするために全部住所を私は自己判断で書く場合もあった。実際に、全部住所を書いておけばよかった、と後悔したことも何度かあった。

札所(ふだしょ): 
各霊場それぞれにお札を納めることから、88ヶ所のお寺全てが札所と呼ばれている。

打つ(うつ):
札所を参拝すること。紙が日常的なものになる前までは、遍路は木の札を実際に打ちつけていたので、現在も「札所を打つ」というように使われている。

順打ち(じゅんうち)・逆打ち(ぎゃくうち):
札所を打つ順番。番号の順番どおり、1→88まで打つことを、順打ち、88→1へと打つことを逆打ちという。巡礼の順序やスタート地点も関係ない。

通し打ち(とおしうち)・区切り打ち(くぎりうち)・一国参り(いっこくまいり):
1→88まで(順番や方向は関係ない)一回で全て打つことを通し打ち、何回かの旅に分けて打つことを区切り打ちという。また、四国のうち一国(一県)だけお参りすることを一国参りという。

打戻り(うちもどり):
一度通った道を戻って次の札所に行くこと。

先達(せんだつ):
遍路を何度も繰り返している遍路の先輩のような人々。特に四国88ヶ所霊場会に公認されて「公認先達」になると、ツアーガイドなどとしても正式に働けるみたいだが、そうなるにはもちろん経験と純粋さだけではなれないらしい。

道場(どうじょう):
四国遍路1200キロの道程は、いつ頃からか知らないが、4つの道場に称されている。
   阿波(現徳島県)は、発心(ほっしん:遍路巡拝を決意すること)の道場
   土佐(現高知県)は、修行(しゅぎょう)の道場
   伊予(現愛媛県)は、菩提(ぼだい:煩悩を滅すること)の道場
   讃岐(現香川県)は、涅槃(ねはん:悟りを開くこと)の道場
 (この道場名の由来などご存知の方がもしいらっしゃいましたら、教えていただけませんか。お願いします。)

遍路小屋(へんろごや):
建築家、歌 洋一さんが発起し、地元の方々の土地や資材の提供、ボランティアによる清掃・管理により遍路に開放されている休憩所や、それ以外の地元の方たちのご好意によって建設・管理された休憩所。宿泊できる場所やトイレが提供されているも多く、野宿遍路には本当に本当に有難い小屋。ただし、小屋と言っても、全てが壁に覆われているわけではない。屋根と目隠しがあるくらいの場所がほとんどだが、有難い施設。

大師堂(だいしどう・たいしどう):
弘法大師(様々な形の大師がいる)を祭っているお堂のこと。その中でも、大師信仰の表れとしてその信者であるお遍路さんを無料で泊めてくれる大きな大師堂がいくつかある。マナーの悪い遍路のせいで、近年はだんだん数を減らしているようだ。お堂の管理者への連絡が事前に必要な場所もある。

通夜堂(つやどう):
お寺の中にあり、遍路のために無料で開放されている宿泊施設。ただし、88ヶ所霊場内では、数は決して多くない。番外霊場や全く霊場会に関係のないお寺が提供している場合もある。各お寺の納経所でお願いすれば、泊めてもらえる。お寺によっては、門限や制限が厳しいところもある。

善根宿(ぜんこんやど):
地元の方たちのお接待の一環として、無料で遍路に提供されている屋根と壁がある施設。無料とはいえ、その施設をボランティアで管理してくれている方に事前の電話連絡は必須。

托鉢(たくはつ):
お寺の前に立って(本来は民家一件一件回っていたらしい)、お経を上げる代わりにお布施としてお接待を受け取ること。信者に施しをさせる機会を与えることで功徳を積ませることは、修験者が行える最大の功徳であるという考えから、昔は遍路修行の中に組み込まれていた修行法。職業遍路(托鉢を修行のためでなく職業として行っているため、こう呼ばれている)の中にはお経さえ読まずにただ立っている人や座っている人もいる。

基本用語とマナー ‐参拝編‐

さて、巡拝マナーと参拝用語。
基本的に遍路は靴を脱がない限り、参拝中でも菅笠を撮とる必要はないとされている。

‐参拝(お勤め)順番‐

1.山門で一礼。
2.手水場で尺に水を汲み、左手、右手、左手に注いだ水で口をゆすぎ、最後に尺を手前に傾けて柄を清める。
3.鐘楼堂で鐘を突けるところは、1回だけゴーンとつく。
4.本堂でろうそくと線香3本をあげる。(必ず備え付けまたは持参のライターでつけること。既に備えてあるろうそくからもらい火をするのは禁物。)
5.鰐口があれば、1回鳴らす。
6.納め札を納札入れに納める。
7.お賽銭を入れる。(投げ入れるのではなく、あくまで受け取ってもらうように。)
8.読経(これは様々だけれど、私は般若心経1回、ご本尊の真言3回、光明真言3回、南無大師遍照金剛3回唱えるのみ。)
9.一礼
10.大師堂で4~9を繰り返す。
11.納経、御影(みえい)をもらう人はもらう。
12.山門を出る際に、合掌一礼。

私があくまで最終的にマナーとして行ったのは以上ですが、読経なんて長い人は長い。自分のペースで自分の目的に沿った参拝方法でよいのではないでしょうか。感謝の心さえ忘れなければ、それでよいと思っています。

‐参拝用語‐

発心(ほっしん): 
遍路へ出る決意をすること。

発願寺(はっがんじ‐私はずっとほつがんじだと思っていました…):
遍路を始めるお寺。ほとんどのお遍路さんは、1番札所の霊山寺が、発願寺になる。

結願(けちがん):
88ヶ所全てを回り終えること。同様に、88ヶ所全てを参り終えるお寺を結願寺(けちがんんじ)という。

お礼参り(おれいまいり):
高野山の奥の院に、(及び余裕のある人は、発願寺へ)安全な旅のお礼を言いに参ること。

満願(まんがん):
88ヶ所と高野山へのお礼参りを済ますこと。

番外霊場(ばんがいれいじょう):
88ヶ所霊場以外の、お大師さまにゆかりのあるお寺や神社など。四国には、20箇所ある。聞いたことろでは、納経所で念珠の珠をもらうことができ、それを20個集めてお念珠を作ることで、ご利益があるとされている。

功徳(くどく):
仏教における良い行い。遍路や札所でのお勤めも功徳。

真言(しんごん):
密教経典に由来する、古代インド語(サンスクリット語)で説かれた仏の言葉。

‐巡礼装備用語‐
装備のカテゴリーでも紹介しているけれど、読み方もきちんと知っているほうがいいかな、と思って。

白衣(びゃくえ):
「南無大師遍照金剛 同行二人」と背中にかかれた袖があるタイプの白いはおり。これを「はくい」と言っている人に出会ったけど、「はくい」ではないようです。中世のお遍路さんにとっては、遍路旅は今よりも何十倍も辛く厳しいものだったようで、いつ倒れてもよいようにつねに白装束でした。その名残というか、今でも死装束の代わりです。

笈づる(おいづる):
上記白衣の袖が無いもの。私はこれを使用。晩秋の野宿の場合は、昼間にかいた汗で塗れた白衣が次の朝になっても乾いていないことが多かった。袖があると更に乾きにくいし、朝袖を通したとき「冷たくて気持ち悪い」と出会った野宿遍路の男の子も言っていた。

金剛杖(こんごうづえ):
遍路の相棒、お杖さん。中世のお遍路さんにとっては、いつ倒れてもそこが墓場になるように、卒塔婆(そとば)の形をしています。杖の上部には五輪の塔が掘り込まれており、ここは仏を表すので直に握ってはいけないことになっています。だから、みなさんカバーしています。歩いていると、ここが破れることがあるので、装備編でふれているように、ロープでグリップを作っておくと、大変便利です。大切な相棒だけど、置き忘れます。何度取りに戻ったか、数え切れません…

輪袈裟(わげさ):
お参りの正装とされている、首からかける袈裟。私は最初これをしていなかった。でも、やっぱりお遍路しての自覚ができてくるにつれて、地元の方々の気持ちを背負って歩くのに、正装をしていないことがおかしく感じ、伊予で購入。(どんだけ遅いねん!)

お念珠(おねんじゅ):
数珠のこと。読経をする前に、3回こすって音を出すことになっている。私は、持っていませんでした。でも、伊予で出会ったある行者さんから、大切なお念珠をいただき、それからは毎日つけさせてもらっていました。

山谷袋(さんやぶくろ)・頭陀袋(ずだぶくろ):
首から提げる「奉納 同行二人 大日如来の梵字」などがかかれた白い袋。私はウエストポーチ代わりに毎日下げていました。

このブログ用の用語

遍路には直接関係ないが、野宿施設を語る上で、私が使う言葉の違いを掲載しておく。

東屋(あずまや):
公園や休憩所に設置されている、屋根とベンチ、そしてベンチの背もたれくらいの高さの壁のみがある施設。

遍路小屋(へんろごや):
東屋よりも壁が高く、3方ほど壁に完全に覆われている小屋もある。トイレが提供されているもある。ただし、「宿泊お断り」の遍路小屋もいくつか見たので、注意が必要。ここでは、宿泊お断りだった小屋も紹介するので、計画を立てるのに役立ててください。

大師堂(たいしどう):
弘法大師(様々な形の大師がいる)を祭っているお堂で、お遍路さんを無料で泊めてくれる大きな大師堂がいくつかある。トイレ有の場所が多い。

通夜堂(つやどう):
お寺の中にあり、遍路のために無料で開放されている宿泊施設。屋根、壁、畳、水、トイレ有、と有難い。愛媛今治の58番札所仙遊寺では、なんとお風呂にまで入らせてくれる。

善根宿(ぜんこんやど):
地元の方たちのお接待の一環として、無料で遍路に提供されている屋根と壁がある施設。無料とはいえ、その施設をボランティアで管理してくれている方に事前の電話連絡は必須の場所もある。

立ち寄り風呂・宿泊場所 ‐徳島編‐

ここでは、「野宿リスト」に掲載されているもの・無いものも含め、私が歩いて実際に泊まったところ、泊まれるな、と思った場所や途中見つけた立ち寄り風呂をリストアップしていこうと思う。(私が実際に泊まったところや実際に入った風呂には、☆マークをつけている。)

「野宿リスト」は結局最後まで手にしなかったので、そこに掲載されていても私が聞いたり遭遇していなければ、ここには載せていないのでご了承いただきたい。

★1番札所~11番札所間★

・ 5番札所付近の県道沿いにある善根宿 (場所は、地元の方々やお寺さんに聞けば、喜んで教えてくれるはず。この辺りの方々は、遍路がとても生活に根付いている場所なので、お遍路さんに全般的に優しかった。)
・ ☆5番札所と6番札所の中間地点ほどにある遍路小屋 (私が泊まったところ。ただし、水・トイレなし。)
・ 6番札所前の休憩所 (水・トイレ完備。とてもきれい。壁も2方向あるが、休憩所自体が大きいので、冬は寒いと思う。軒下でテントを張っている人もいた。)
・ 8番札所前の駐車場と、付近にある東屋 (駐車場でテントを張らせてくれるらしい。東屋付近には水・トイレがなかったように記憶している。)
・ 吉野川を南に渡り、川沿いに歩くと「江川湧水源」という休憩所があると地図にあった。(湧水・トイレ・仮眠施設あり、とある地図には表示されていたが、私はそちら方面には回っていないので、確認はしていない。)
・ ☆[風呂・善根宿]11番札所より1.5kmくらい東側にある鴨の湯の善根宿、いやしの舎 (水・トイレ・温泉・洗濯機・乾燥機(200円)・レンタサイクル完備) ここは本当に良かった。だが、温泉(450円)は水曜定休日。先着制度で、定員は一応10名くらいに設定されているが、6~7名くらいで2つの小屋はいっぱいになる。前の広い砂利広場でテント設営も可能。外にはベンチも2つあった。

★11番札所~12番札所★
・ 最初の遍路ころがしに着くまでは、平坦な土地も見受けられたので、テント設営は十分可能。
・ 12番札所へ向かう途中にある、1番目の遍路ころがしを降りたところにある柳水庵 (通夜堂のようなものを設けており、そこで宿泊可能。湧き水があり、トイレもきれいではないがある。)
・ 2つ目の遍路ころがし後にある、一本杉庵 (水・トイレあり。小屋・東屋共になし。)

★12番札所~17番札所★
・ ☆12番を2kmほど下った場所にある、杖杉庵 (きれいではないが、水・トイレあり。東屋・小屋共になし。)
・ [風呂]神山温泉の道の駅は、宿泊禁止になったと聞いたが、詳細は不明。
・ 12番札所から山を降り切ってしまうと、鮎喰川沿いに出る。水がきれいで、川原もごろごろ石が気にならなければ、十分にテント設営できる。広野郵便局裏の橋下でも野宿できると感じた。雨の際は、増水に注意。
・ 16番札所と17番札所の間にある「栄タクシー」の2階が善根宿になっていると聞いた。

★17番札所~23番札所★
ここで、徳島市内を歩くコースと迂回ルートに別れるが、私は「遍路道」の文字に惹かれ迂回ルートを行った。
・ 17番札所を過ぎ、徳島市街地を迂回した遍路道沿いにある地蔵院前の休憩所。(水・トイレあり。屋根とベンチあり。)
・ ☆[風呂] 地蔵越遍路道を越え、山を降りかけた場所に八万温泉という温泉施設(360円)があった。歩き遍路さんには、閉館時間(10時くらい)まで中でテレビを見たりゆっくりしてもらってから駐車場でテント設営するのを許可していると、従業員の方が言っていた。
・ ☆徳島県文化の森総合公園 八万温泉のお兄さんに教えてもらった場所。野外コンサート会場のトイレ横の芝の上でテント泊。警備員の人との交渉が必要だったが、基本的には火気を使わなければOKだった。
文化の森
・ 市街ルートと合流した後、ちゅうでん駅付近の踏切を渡った国道55号線沿いに地元の遍路小屋があった。(水・トイレなし。)
・ ☆20番札所鶴林寺手前にある、JAよってね市の端に設置された遍路小屋。(水・トイレ有。)
よってね市の遍路小屋
・ 20番札所鶴林寺の山を降りた場所にある廃校(小学校跡)を遍路用に開放してくれています。学校の怪談とか大好きな方、是非どうぞ。(水・トイレあり)
・ 小学校跡から少し行った場所にある東屋。(水・トイレなし)
・ 21番札所太龍寺を下った国道195号線沿いの道の駅わじきを少し通り過ぎた場所にある遍路小屋(歌さんの第3号遍路小屋 阿瀬背)は宿泊お断りです。
・ 22番札所を過ぎ、国道55号線沿い弥谷観音へ曲がる橋手前にある遍路小屋 (水・トイレは700m離れた弥谷観音まで行かないとない)
・ 弥谷観音駐車場に設置してある東屋 (屋根のみあり。水・トイレあり)
(13番手前の遍路休憩所、「おやすみなし亭」で手に入れた「昔からの歩き遍路地図 最後まで残った空海の道 十七番井戸寺~ 編」には、へんろみち保存協力会の地図とは違う道がしるされており、その海沿いルートには仮眠場所が2つ示されている。)
・ [風呂]23番札所に近い県道25号線沿いにある「白い燈台」というペンションの立ち寄り湯

★23番札所~徳島県境★
・ [風呂]23番札所を過ぎてすぐ国道55号線沿いにある千羽温泉
・ ☆牟岐町にある内妻海岸。私は気づかなかったが、翌日ビーチの反対側にトイレがあることを教えてもらった。(水・トイレあり。東屋・小屋共になし)
・ [風呂・野宿]国道55号線沿いの道の駅宍喰温泉 (水・トイレあり。屋根つきベンチあり)

立ち寄り風呂・宿泊場所 ‐高知編‐

徳島を海陽町(旧宍喰町)で終え、太陽の国高知へ入国。

★高知県境~24番札所(室戸岬)★
・ ☆白浜海岸 (小屋・東屋共になし。水・トイレ・夏はシャワーあり) テント設営禁止にはなっているが、知らずに張っていても、一度も咎められなかった。
・ 生美海岸 (サーファーが集うビーチなので、有料で温水シャワーあり)
・ 東洋町にある番外霊場、東洋大師明徳寺の通夜堂 (四方壁・屋根ありのこぎれいな通夜堂。水・トイレあり)
・ 明徳寺より4kmほど歩いた場所にあるゴロゴロ海岸休憩所(屋根とベンチのみあり。水・トイレなし)
・ ゴロゴロ海岸休憩所より3kmほどの場所にある空法上人の休憩所(屋根とベンチのみ。水・トイレあり)
・ 空法上人休憩所より更に3kmほど歩いた場所にあるヨドノイソ休憩所(屋根とベンチのみあり。水・トイレなし)
・ 佐喜浜港近辺には大師堂があると「野宿リスト」にあった。詳細は不明。
・ ドライブイン夫婦岩を過ぎた場所にある夫婦岩の休憩所(屋根とベンチのみあり。水・トイレあり)
・ [風呂] バーデハウス室戸(入浴は1,700円と高額だが、外に無料で利用できるきれいな足湯がある。)
・ 御蔵洞 中ははっきり言って真っ暗で湿っぽくて、水がしたたり落ちているが、ここで野宿をした猛者を知っているので、野宿は可能。(小屋・東屋共になし。水・トイレあり)
・ 24番札所へ登る道の入り口にある駐車場 (小屋・東屋なし。水・トイレあり)

★24番札所~28番札所★
・ 道の駅キラメッセ室戸 (東屋あり。水・トイレあり)
・ 27番札所手前国道55号線沿いのバス停で野宿ができると「野宿リスト」に掲載してあった。詳細不明。
・ 27番神峯寺の通夜堂
・ 道の駅大山の手前の休憩所(小屋・東屋共になし。水・トイレあり)
・ ☆道の駅大山 (屋根とベンチのみあり。水・トイレあり)私が止まったのは、道の駅の前にある海に囲まれた河中公園
・ [風呂] 安芸市のヘルストン温泉、ふれあいセンター元気風呂 (330円。午後3時~8時まで。火曜定休日)
・ あなない駅手前にある遍路小屋 (屋根と背もたれ程度の壁あり。水・トイレなし)
・ 八流山極楽寺を過ぎて1kmほどの場所にある赤野休憩所(屋根とベンチのみあり。水・トイレあり)
・ ▼芸西村の遍路道(サイクリング道)沿いにある、「野宿リスト」には善根宿として掲載されている小屋には要注意!!!職業遍路も常にたむろっており、地元の人と仲が悪い。ここに時々滞在している顔にほくろのある自転車職業遍路は、1人歩きの女の子を狙い犯罪等を犯していると聞いた。小屋の管理者もひどく強引なので、気をつけてください。
・ 道の駅やす (屋根とベンチあり。水・トイレあり)
・ 歌さん設計の遍路小屋、香我美 (水あり。トイレなし)

★28番札所~35番札所★
・ [風呂] へんろ石饅頭店付近にあるながおか温泉
・ ☆歌さん設計の遍路小屋、蒲原 (高い壁あり。水あり。トイレは管理者の会社のものを使用可)
・ ☆31番札所上の五台山展望公園 (小屋・東屋共になし。ベンチあり。水・トイレあり)
・ 種崎千松公園 (小屋・東屋共になし。水・トイレあり。ただし、常駐のホームレスがいる場所もあるので注意)
・ ☆[風呂] 国民宿舎桂浜 (570円)

★35番札所~38番札所(足摺岬)★
・ ☆塚地坂トンネルすぐ手前の休憩所 (広い東屋。水・トイレ・自動販売機あり。朝晩寒いので注意)
・ 36番札所手前の駐車場付近にある東屋 (水・トイレあり)
・ [風呂] 国民宿舎土佐 (500円)
・ ☆歌さん設計の遍路小屋、須崎 (水・トイレあり)
・ 道の駅かわうその里すさき(ベンチあり。水・トイレあり。交通量が比較的多い)
・ 土佐久礼駅を過ぎた場所にある休憩所 (東屋あり。水・トイレあり)
・ ☆六十余社 (小屋・東屋共になし。水・トイレなし)
・ ☆[風呂] ニュー佐賀温泉 (500円)
・ ☆佐賀温泉に設置してある歌さん設計の遍路小屋、佐賀 (水・トイレ夜9時頃まであり。)
・ 土佐佐賀駅は野宿可と聞いた。
・ 佐賀公園 (東屋あり。きれいな芝生エリアあり。水・トイレあり。水シャワーあり)
・ 歌さん設計の遍路小屋、大方 (水・トイレなし)
・ 井の岬トンネル手前の休憩所 (東屋あり。水・トイレあり)
・ 道の駅ビオスおおがた (屋根とベンチのみあり。きれいな芝生エリアあり。水・トイレあり)
・ ビオスおおがたを下った場所にあるビーチキャンプ場 (サーファーのキャンプ場になっている。水・トイレあり)
・ 四万十大橋手前の休憩所 (東屋、ベンチあり。水・トイレなしだが、裏手に彩市場という産直市場あり)
・ ドライブイン水車の横にある休憩所 (屋根とベンチのみあり。水・トイレあり)
・ ☆下ノ加江中学校裏にある海辺のバーベキュー場 (小屋・東屋なし。水・トイレ・水シャワー・焚き火場あり)
・ [風呂] 海癒 (950円)
・ 大岐海岸 (水・トイレあり。サーフポイント)

★38番札所~愛媛県境★
足摺岬からは、打ち戻って三原村を通る道と海岸線を通る道に分かれる。私は海岸線を通った。
・ ☆[風呂] 国民宿舎足摺テルメ (700円)
・ ☆歌さん設計の遍路小屋、足摺 (屋根と一方の壁。水あり・トイレなし)
・ [風呂] 土佐清水市内にある銭湯、旭湯 (330円)
・ 道の駅めじかの里土佐清水 (小屋あり。水・トイレあり)
・ 高知県足摺海洋館手前の広場 (小屋・東屋はないが、屋根のある場所あり。芝生のきれいな場所あり。水・トイレあり)
・ 白爪キャンプ場 (300円。水・トイレあり)
・ 国道321号線沿い貝ノ川トンネルを過ぎた所にある叶崎の休憩所 (東屋あり。水・トイレあり)
・ 叶崎黒潮展望台 (東屋あり。水・トイレなし)
・ 歌さん設計の遍路小屋、大浦 (屋根と、スカスカの壁1方。水・トイレなし。オススメしない。)
・ 道の駅大月内にある歌さん設計の遍路小屋、しんきん庵 (水・トイレあり)
・ 歌さん設計の遍路小屋、しんきん庵(大月) (屋根と壁一方の狭い小屋。水・トイレなし。オススメしない。)
・ ☆道の駅横のふれあいパーク (小屋・東屋なし。水・トイレあり)
・ 道の駅すくも内にある歌さん設計の遍路小屋、宿毛 (2階建ての山門のような遍路小屋!窓にすだれまである。水・トイレあり) 
・ 道の駅すくも奥にあるサニーサイドパーク内にある休憩所 (大きな建物のなかにベンチ多数あり。水・トイレあり)
・ ☆東宿毛駅 (待合所内にベンチあり。四方壁あり。水・トイレなし)
・ 39番札所延光寺通夜堂

立ち寄り風呂・宿泊場所 ‐愛媛編‐

南国土佐を後にし、いよいよ菩提の伊予へ。

★愛媛県境~43番札所★
・ 40番札所観自在寺の通夜堂
・ 40番札所を過ぎた国道56号線沿いにある休憩所 (東屋あり。水・トイレあり)
・ 愛南町役場内海支所のDE・あい・21の休憩所は改装工事中で使用できなかった。
・ 柳水大師前の休憩所 (東屋あり。湧水あり。トイレあり)
・ 柏坂遍路道の茶堂休憩所 (東屋あり。水なし・トイレあり)
・ 歌さん設計の遍路小屋、津島は宿泊できません。
・ ☆[風呂] 国道56号線から200mほど山側に入った場所にある、やすらぎの里熱田温泉のバス待合所 (東屋あり。水・トイレ・温泉あり。600円。第1・3月曜定休日)
・ 松尾峠遍路道を入ってすぐの場所にある遍路小屋 (屋根・四方に壁あり。水なし・トイレあり)
・ 松尾峠頂上にある歌さん設計の遍路小屋、26号 (水あり(飲用不可)・トイレなし)
・ 歌さん設計の遍路小屋、宇和島 (水・トイレなし)
・ 42番札所佛木寺の休憩所 (県道沿いに東屋あり。水・トイレあり)
・ 佛木寺から歯長地蔵までの道中にある休憩所2つ (東屋あり。水・トイレなし)
・ 歯長地蔵の休憩所 (東屋あり。水・トイレなし。県道にすぐ面しているコンクリート面しかないので、宿泊はオススメしない)

★43番札所明石寺~内子市街★
・ ☆宇和町内にある、歌さん設計の遍路小屋、宇和 (吹き抜けの遍路小屋。水・トイレともに朝8時~夜10時まで隣接レストランで使用させてもらえる。レストランの駐車場内にあり、レストラン閉店までは交通量・人の量共に多し)
・ 鳥坂峠遍路道にある2つの休憩所 (東屋あり。水・トイレなし。1つは神社の境内にあり)
・ 松下庵を1kmほど通り過ぎた、国道56号線沿いにあるパーキングエリア (東屋あり。ベンチ多数あり。きれいな水・トイレあり)
・ [風呂] 大洲臥龍の湯 (680円。第3月曜定休日。外に無料の足湯あり)
・ [風呂] 大洲市役所近辺にあるさがの温泉 (680円。無休)
・ 大洲城内公園 (東屋あり。水・トイレ敷地内にあり)
・ ☆[風呂・通夜堂] 十夜ヶ橋の通夜堂 (屋根・四方に壁あり。水・トイレあり。道路を挟んだショッピングセンター内にトロン温泉オズの湯(月曜400円・通常550円)、コインランドリーあり。) ちなみに十夜ヶ橋の橋下で野宿も可能。コンクリート敷きになっているが、ゴザを貸し出してくれる。
・ 泉ヶ峠を越えて山を下った場所にある野球場横の公園 (小屋・東屋共になし。水・トイレあり)
・ 道の駅内子フレッシュパークからり (屋根とベンチあり。水・トイレあり。交通量・観光客も多く、あまりオススメしない)

★内子市街~52番札所太山寺★
内子市街から久万高原へ入るのに、農祖峠越えと鴇田峠越えの道に分かれる。私は鴇田峠越えを選んだ。
・ ☆国道379号線と県道42号線が交わる側にある、滝ノ上橋休憩所 (バス停の小屋あり。水・トイレあり。朝晩非常に冷えるので注意。テント設営の場合は、産直販売所の屋根の下で設営可)
・ 鴇田峠頂上付近にある休憩所 (東屋あり。トイレあり)
・ 44番大宝寺近辺にある久万公園 (東屋あり。水・トイレあり)
・ 44番札所から45番札所へ向かう途中にあるふるさと旅行村のキャンプ場 (630円。水・トイレあり)
・ ☆[風呂] 国民宿舎古岩屋荘の温泉 (300円)
・ 古岩屋荘前のバス停留所 (広い2方壁の東屋あり。水・トイレあり)
・ 47番札所八坂寺の通夜堂または駐車場 (小屋・東屋はなし。水・トイレあり)
・ [風呂] ていれぎの湯 (500円。県道40号線より1kmほど離れた場所にあり)
・ ☆48番札所西林寺付近にある杖ノ渕公園 (広い東屋のみで野宿・テント設営可。水・トイレあり)
・ [風呂] 49番札所付近にあるたかの子温泉
・ 51番札所石手寺の通夜堂
・ ☆[風呂] 道後温泉本館 (400円~)

★52番太山寺~香川県県境★
・ 52番札所太山寺の通夜堂
・ 53番札所円明寺を過ぎた「うなぎや」さん近辺にある公園 (東屋あり。水・トイレあり)
・ ☆[風呂] 北条港にあるシーパMAKOTO (500円)
・ 古い「野宿リスト」に掲載されている鎌大師の通夜堂は、もうありません。境内の遍路小屋も宿泊禁止。
・ ☆浅海(あさなみ)の大師堂 (屋根と四方壁あり。水・トイレあり。きれい)
・ 太陽石油を過ぎた国道196号線を少しだけ離れた場所にある青木地蔵の通夜堂 (ここは幽霊話から危険な遍路さんの話まで、いろいろな噂のある通夜堂です。実際に泊まって何もなかったよ~、ってお遍路さんにも会いましたが、職業遍路の方たちも気味悪がって泊まりません。)
・ ハーフタイム星の浦海浜公園 (屋根つきベンチあり。きれいな芝生エリアあり。水・トイレあり)
・ 56番札所泰山寺の通夜堂 (納経張を提示しなければならない。)
・ ☆58番札所仙遊寺の通夜堂 (水・トイレあり。お風呂にも入れてくれる。)
・ 58番札所仙遊寺付近にある東屋 (水・トイレなし)
・ 道の駅今治湯ノ浦温泉 (東屋あり。水・トイレあり。温泉は少し離れた場所にあり)
・ 国道159号線沿いの臼井御来迎の通夜堂
・ 日切大師付近にある光明寺の通夜堂 (ここは、二段ベッドが設置してあり、評判がよい。)
・ [風呂] 光明寺の通夜堂付近に明神湯という銭湯あり(日曜定休日))
・ ☆[風呂] 湯の里小町温泉しこくや (400円)
・ 60番札所横峰寺境内の休憩所 (屋根と四方壁あり。ベンチ・テーブルあり。水・トイレあり)
・ 白滝奥の院 (東屋あり。水・トイレあり)
・ [風呂・野宿] 石鎚山ハイウェイオアシス (東屋あり。水・トイレあり。温泉あり)
・ ☆64番札所前神寺前の休憩所 (東屋あり。境内に水・トイレあり。近くに温泉あり)
・ ☆[風呂] 湯之谷温泉 (360円)
・ [風呂] 石鎚温泉 (450円。第4木曜定休日)
・ 加茂川を渡った所にある武丈公園 (東屋・小屋なし。水・トイレあり)
・ ☆四国中央市(旧土居町)にある番外霊場延命寺前の休憩所 (東屋あり。水・トイレあり)
・ 65番札所三角寺への登山口にある戸川公園 (大きな東屋あり。水・トイレあり)

立ち寄り風呂・宿泊場所 ‐香川編‐

優しい伊予を後にし、涅槃の、いや、うどんの讃岐へ!

★66番札所雲辺寺~88番札所大窪寺★
・ 「野宿リスト」には、雲辺寺下に大師堂があると記載されています。電話連絡必須。
・ [風呂] かんぽの宿観音寺荘 (700円)
・ [風呂] 70番札所から71番札所の間。たかせ天然温泉(550円。p. 74-1第一病院近所のガソリンスタンドを東に1kmほど)
・ ☆道の駅ふれあいパークみの(屋根・ベンチのみあり。水・トイレあり。)併設された天然いやだに温泉は、日帰り風呂はあるが1,575円もする。
・ 76番札所と77番札所の間にある下水処理場(?)にある公園 (東屋あり。水・トイレ近所の神社にあり。きれい)
・ [風呂] 78番札所郷照寺手前にある四国健康村 (1,000円?)
・ ☆大束川東川にある県道の高架下 (高架の雨よけのみあり。水・トイレなし。オススメしません)
・ 瀬戸中央自動車道下にある公園 (藤棚・ベンチあり。水・トイレあり)
・ 80番札所から81番札所に向かう途中の遍路道沿いにある休憩所 (広い東屋あり。水・トイレなし。きれい)
・ [風呂] 坂出簡易保険保養センター (500円)
・ 81番札所と82番札所の間にある休憩所 (東屋あり。水・トイレあり)
・ [風呂] 高松市内 天然温泉きらら (600円)
・ 84番札所屋島寺へ登る道の途中にある東屋 (東屋あり。水・トイレなし)
・ 屋島寺周辺の公園 (東屋・小屋共になし。水・トイレ寺にあり)
・ 87番札所へ向かう途中県道3号線沿いにある休憩所 (東屋あり。水・トイレなし)
・ [風呂] ツインパルながお (600円。p.84-1亀鶴公園付近にあり)
・ 一心寺付近にある休憩所 (東屋あり。水・トイレなし)
・ 前山ダム手前、遍路道の一本山側の道にある前山キャンプ場 (東屋あり。水・トイレあり)
・ 前山ダムの休憩所 (東屋あり。水・トイレなし)
・ 道の駅ながお (ベンチあり。水・トイレあり)
・ 女体山峠付近にある休憩所 (東屋あり。水・トイレなし)
・ ☆88番札所前にある休憩所 (東屋あり。水・トイレあり)

★88番札所~徳島10番札所★
・ 県道2号線沿いにある岩野トンネル前休憩所 (東屋あり。水・トイレあり)

9月23日(火) 出発の日 野宿 (上板町の遍路小屋)

装備もできた。
準備もできた。
いよいよ出発。

前日に、あらかじめバスの出発時間を決めた。
朝9時くらいに出れば、11時には鳴門駅に着いて1番札所霊山寺に一番近い駅坂東駅行きの電車に乗り、お昼には遅くても遍路を始められるだろう、と計画した。

23日朝。
車で神戸・三宮のバスターミナルまで送ってもらった。
しばらくピロキさんにもネコ息子たちにも会えないのは寂しかったが、期待で心がいっぱいだった。
9時10分出発のバスのチケットを買い、バスに乗った。
外は、青空と太陽がまぶしい、まだ暑さが残る美しい初秋だった。

阪神高速を抜け、美しい明石海峡を抜け、淡路島から鳴門大橋を渡り、目的地の高速鳴門には1時間ちょっとで到着した。
まずは足慣らし、と高速鳴門のバスターミナルから鳴門駅まで歩く。

四国は、田舎。わかっている。でもいくら田舎でも、観光地だし、15分に1本くらい電車は出ているだろう。大丈夫、大丈夫。
そう思い、10時45分くらいに駅舎に入る。
板東駅、と…よし、ここか。乗り換えが必要なのかな?
時刻表は、っと…

え?
えええええええええええええ!?
次発12時01分!???

甘かった…アメリカのバースデーケーキなんかよりもべたべたに甘かった。
15分に1本どころか、11時台は1時間に1本も電車が無いぃぃぃぃぃぃっ!

出鼻から挫かれた。
どうしよ、予定がめっちゃ狂う…と、うなだれながらも一応、窓口のおねえさんから切符一枚購入。
外にでて、路線バスもチェックしてみる。

路線バス乗り場には、いろんなバスが乗り入れるらしく、おじいちゃんおばあちゃんで溢れていた。
そこで路線図と時刻表を探していると、大きなバックパックに菅笠をつけている私の姿を見たおじいちゃんが、

「お遍路さんか~?」

と声をかけてくれた。
電車が12時過ぎまで無いことなどを説明すると、
「バスの方が早いよ。ここで待って、大麻行きに乗ったらええ。」
と親切に教えてくれた。
(それにしても、すごい名前だ…昔は栽培してたんだろうな。)

記念すべき四国お接待第一号。
ありがとう、おじいちゃん。

それから、電車の切符を払い戻し、おじいちゃんの横に座ってお話をさせてもらった。
会話のほとんどは、
「一番へは、大麻行きに乗ったらええ。うんうん。」
で構成されていたが、有難かった。
おじいちゃんは、大麻に行くのではなく、他に向かうのでしばらくして到着したバスに乗り込んでいった。
乗り込む間も、
「ここで待っとたらええからな~」
と繰り返してくれた。
ありがとう、おじいちゃん。ちゃんと待ってるから、大丈夫だよ~。お元気で~!

しばらくすると、中国人らしい女の子が2人、バス停で路線図を探し始めた。
話を聞くと、観光で鳴門の渦を見に来たらしい。地元民でもないが、
「鳴門公園行きのバスに乗ったらええ。うんうん。」
と教えてあげて、バスが到着したときにも知らせてあげたら喜んでくれた。(ちゃんと地元の人にも確認したから、大丈夫、なはず…)
渦潮は、見れる時間が限られている。きちんと調べてきてないみたいだったので心配だったが、観光の女神さまが微笑んでくれるかもしれないことを祈り、見送った。
中国と日本は、政府仲も報道上の国民感情も良くない。その中でも日本に観光に来てくれる人達に温かい経験をしてもらうことが、大切なんだろうなー、と勝手に納得して彼女たちの旅の安全を願った。

次に声をかけてくれたのは、白髪のやさしそうなおばあちゃん。
一番札所に行くことを見越して、
「大麻までだったら、私と同じバスだから、一緒に乗っていきましょう。」
と言ってくれた。
12時近くにようやくバスが到着し、おばあさんと一緒に乗り込む。
荷物が大きいのが他のおばあさんたちに申し訳なかった。

「この路線はね~、老人はただで乗れるのよ。だから、普段はガラガラで、老人しか乗ってないわ。」
や、
「お遍路、頑張ってね。」
などという温かいお言葉をいただきながら、おばあさんと一緒に大麻方面へ向かった。
おばあちゃんは、私の降りる停留所より一つ前の停留所で降りていった。
「次の停留所を降りたら、真直ぐ進めば霊山寺が見えるから、頑張ってね。」
という温かい言葉を残してお別れをした。
おばあちゃん、言葉とやさしさのお接待どうもありがとう。元気で長生きしてね。

1番札所 霊山寺

お遍路の1番札所だし、さぞかし賑やかなのかと思えば、なんのことはない普通のお寺だった。
遍路当初は、本当に観光兼修行のような気分できていたため、山門で一礼、手と口を清め、本堂にろうそく、線香、納め札と5円のお賽銭を納めた後、「宜しくお願いします」と、手を合わしただけ。
大師堂には見向きもしなかった。
納経もしない。
遍路道具も全て揃えてあったので、寺の中の巡礼用品店にも、門前の巡礼用品店にも寄らず、速攻で2番へ向かう。

2番札所 極楽寺 1.4km

はっきり言ってお寺の形すら覚えていない。
1番と同じように、参拝をさっさとすました。
ただ、ここからご本尊へは、「私のおばあちゃんの顔に笑顔がいつも灯っていますように」とお願いすることにした。
今年(2008年に)86歳になった私のおばあちゃんは、数年前に脳卒中を起こし、体の左半身が麻痺してしまった。
それを、びっこを引きながらでも自分一人で歩けるまでにリハビリなどで努力し自力で回復させた。
それを完全に治してくれ、なんて祈ったらいくら仏様でも困るだろうし、きちんとした参拝マナーも踏んでいない私にはあまりにおこがましい願いなので、四国遍路の願は、彼女の心の安らぎを祈ることにした。

2番から3番へ向かう途中、ずっと集落内を通った。
道中、電柱やミラーの柱などにへんろ道しるべの赤いやじるしがいっぱい貼ってあった。
へんろみち保存協力会の立て札も至る所にあったので、迷う心配はなかった。
へんろみち保存協力会の皆さん、地元のみなさん、ありがとうございます!

途中で、ライターを買うことを思いつき、集落内にあるたばこ屋さんに入った。
誰もいないカウンターに向かい、「すみませーん」というと、中からお店のおとうさんが出てきた。
「すみません。ライターを一つ買いたいのですが。」
と言うと、
「はい、どうぞ。お代はいいから。」
と、ライターを一つ渡してくれた。
「あ、でも・・・」という私に、
「いいから、いいから。気をつけてね。」
とライターを渡してくれた。
わざわざ店の奥から出てきてくれて、代金も取らずに、ライターをお接待してくれた。

これが、四国のお接待なのか…すごい…

おとうさん、ありがとうございました!

たばこ屋にお礼を言ってしばらくまた集落内を歩くと、初の本格的な「へんろみち」なるものにようやく遭遇。
田んぼの狭いあぜを通り、民家の庭だかなんだか分からないところを抜け、3番札所に到着した。
そのへんろみちにも、それが現在でもそのような形で残っていることにも感動した。

四国ってすごい…

3番札所 金泉寺 2.6km

ここのお寺もあんまり覚えてない。
へんろみちの印象のほうが、強い。
同じようにさっさとお参りして、次へ。

3番から4番へ向かう途中からは、土のへんろみちに替わる。
ちょっと山道をあるいているみたいで、うれしくなった。
その途中に、寂れたお堂があり、その軒下に「遍路調査のお願い」みたいな紙が置いてあった。
そこには、各自の年齢や遍路の方法、回数等を書く欄があり、お遍路さんの実態を調査しているみたいだった。
そこで、私より2日ほど前にそこを通過している歩きの80歳のおじいさんの記入をみた。
80歳で歩き遍路って、すごっ!頑張ってください。

4番札所 大日寺 5.0km
うーん…このお寺もあんまり記憶にないので、次。

4番から5番へ向かう途中に、番外霊場五百羅漢がある。
そのちょっと手前に、寂れたお寺のようなものがあり、そこで小僧さんのような人達2人が働いていた。
「こんにちは~」
と言って通り過ぎようとすると、
「歩き遍路さん?野宿なの?それだったら、県道沿いに泊めてくれるところがあるから、行ってみたら?」
と教えてくれた。(銀マットを外付けしているので、野宿だとすぐにばれる。)
そろそろ夕方だし、よかった、と思いお礼を言ってお別れした。

そしてすぐに、石仏が立ち並ぶ五百羅漢に到着した。
そこには黒くてかわいいわんちゃんが1匹いて、よしよしさせてもらった。
首輪をしてなかった。
えさを持ち歩いていなかったことを悔やんだ。
元気で生きろよ!と祈ることしかできず、悲しくなった。

5番札所 地蔵寺 2.0km

情けないが、初日でそろそろ疲れてきた。
よっこらしょ、っと手水場の横に重い荷物を置いたとたん、おばさんに声をかけられた。
「歩き遍路さん?まあ、野宿なの?えらいわねー。」
そして、1000円札を一枚渡してくれ、
「これでのどを癒して。」
と言われた。
お饅頭やドリンクのお接待は聞いていたけど、現金のお接待なんて!まさかあるとは思っていなかった。
「え!そんなの受け取れません!」
と言ってしまった。
それでも、
「のどでも癒して。私のご先祖様のお墓がここにあるのよ。だから、こうして出会う歩きのお遍路さんに、時々渡しているの。」
とのこと。
そこで、有難く受けとらせてもらった。
お礼を言うと、おばさんはお墓参りに五百羅漢のほうへ静かに戻っていった。
姿が見えなくなるまで、目を逸らせなかった。
おばさん、ありがとう。おばさんの気持ちと一緒にこれからの道のりを歩ませていただきます、と初めて心に誓った。
この時いただいた1000円は、募金でもしようと思って財布の別のポケットに入れた。

5番を終え、集落内をまた歩き始める。
そろそろ今晩の寝る場所を探さないと、と思い、先ほど小僧さんに聞いた場所を尋ねようと県道に出てみた。
県道沿いをちょっと歩くと、「お遍路さんお接待所」とかかれたカフェのようなところがあった。
そこでは、外のテーブルにお茶が置いてあり、「どうぞ中で携帯の充電もしてください」とも書いてあった。
有難い。とりあえずお茶を1杯いただいた。冷たくておいしかった。
でも、中は休業日で閉まっていた。
そこが、先ほどの教えてもらった宿泊場所だと勘違いし、休業日なのでしょうがない…と、もとの遍路道へ戻ってしまった。(後ほど「野宿リスト」を見せてもらったところ、木工所だかの社長さんが、事務所の2階を善根宿として提供されているとのことだった。だから、このお接待カフェ/ギャラリーは別物ということになる。)

また集落をしばらく歩いているうちに、日も大分落ちてきた。
足も疲れてきた。
ちょうど右手に八坂神社があり、鳥居のすぐ横に石のベンチがあった。
その頃はまだ神社の境内で寝る度胸がなかったから、最悪そこで寝ればいいや、と思いしばらく日が暮れるのを待っていた。
そこに、スクーターに乗ったおじいさんがやってきた。
私の姿を見ると、スクーターを止めて、話かけてきてくれた。

「歩きのお遍路さんか?今晩泊まる所決まってるんか?」

私が、野宿をしてて決まってないから、この石の上で寝かせてもらおうと思っています、と言うと、
「そんなん危ないから、やめときなさい。県道沿いに泊めてくれる所があるんじゃけど、そこは男も一緒くたじゃけん、勧められんのー。うちにでも泊めてやりたいんじゃが… ここから橋を2個渡った大きな川のそばに、遍路小屋があるから、そこまで行きなさい。以前も女の子がおって、同じようにここで寝るって言ったけん、そこを紹介したことがある。」
と言ってくれた。

「ありがとう、おじいさん!」とお礼を言って、夕暮れの中、その遍路小屋に向かった。

宮ヶ谷川に掛かる泉谷橋を渡ったすぐ右手にそれは建っていた。
地元住民のご好意によって建設され、掃除などの管理がされている小屋だった。
そこには、2日目の行程を詳しく記してある「昔からの歩き遍路地図 最後まで残った空海の道」という地元編纂の地図も置いてあり、有難く1部いただいた。
「大衆遺産(だったと思う…)」というタイトルで、遍路のポスターが貼られてあったが、モデルは金髪の白人女性だった。
「なんでやねん!」と心の中でつっこみつつも、その写真から正しい菅笠の紐のつけ方を学んだ。どうやら私は、準備段階で正しくヒモをつけきれていなかったらしい。どうりで笠がしっくりこないはずだ…
そんなこんなで、そこで日が暮れるのを待っていると、おばさんが一人やってきた。
「あら、お遍路さん?もうすぐ暗くなるけど、今日はどこまで?泊まる所は、決まってるの?」
と声をかけてくれた。
野宿なので、この小屋に泊めていただこうと思っているが、よいだろうか、と聞くと、
「それはいいけど、大丈夫?お手洗いも水もないのよ、ここ。」
大丈夫です~と言うと、「そう?じゃあ気をつけてね。」と言って、小屋の周りと中にある落ち葉を履いて帰っていかれた。
しばらくすると、また戻ってきて、
「地区で管理している水道があるから、そこで水を使いなさい。」
と言って、蛇口の栓を渡してくれ、水道の場所まで案内してくれた。
その上に、「これ作ったから食べなさい。」と言ってよもぎまんじゅうを2個渡してくれた。

たかが遍路というだけで、赤の他人にどうしてここまで優しくしてくれるのだろう…

有難くてありがたくて、かえって申し訳なくなってしまった。
でも、お陰さまでさっぱり顔も洗えて、備え付けの座布団を並べその上に銀マットを敷き、寝袋で床についた。
しばらくすると、またスクーターの音が聞こえて、小屋の前で止まった。
さっきとは別のおじいさんが小屋に入ってきた。
「歩き遍路さんか?ここに泊まるんか!すごいなー。」
と言って、話を始めた。

彼は、10番札所近辺に住んでいて、以前から自宅を善根宿としてお遍路さんを泊めていたらしい。
数年前だかに妻に逃げられ、それ以来お遍路さんの話相手をしていないと、気が済まない…などということを永遠としゃべっていた。
「遍路の間では、「野宿リスト」っちゅーもんがあるうんやで、知ってるか?持ってるか?もらわんかったんか?」
「この辺の野宿場所は、全部把握してる。知りたいか?」
「こんな所で寝んと、家に泊まりに来い。」
などと、有難くもあるが、彼の独特の押し付けがましさのようなものに警戒してしまった上に、本当に疲れていて眠かったので、全ての申し出を断ってしまった。
悪い人では決してないのだろう。お接待に添えず、すみませんでした。でも、あまりのあくの強さに、参ってしまいました。
2時間後くらいに、もう眠いというようなことを言って、ようやく開放してもらった。

…が、暑くて寝れない。寝袋のジッパーを全開にして毛布のようにしたらようやく寝付けそうになった。
…でも、車がけっこう通り、ヘッドライトがもろに小屋の中に入ってきて眩しい。しかも、顔は普通の雑種なのにコーギーみたいに短足な野良犬が、2匹も外をシャカシャカ走り回っていた。小屋の中には一切入ってこなかったし、覘きもしなかったけど、あまりに機械的でちょっと不気味で全然寝れない。そして、夜明け前には雨が降ってきた。

こうして記念すべき遍路第1日目の夜は更けた。

1日目 歩行距離 約8.5km

9月24日(水) 2日目 野宿 (鴨の湯)

短足野良顔コーギー犬のシャカシャカに加え、車の音とヘッドライトで、結局ほとんど寝れないまま雨の朝が空けた。
雨は、シトシトと降り続いている。

5時半にはすっかり目が覚めてしまっていたので、昨日のおばさんが置いていってくれった水道栓を持ち、雨のなか顔を洗いに行った。
その後、昨日いただいたよもぎまんじゅうを2つありがたくいただき、小屋の中の掃き掃除をした。(正直、朝から甘いものはキツイな、とも思ったが、他に食べるものもない。食べてみると、美味しくて、体に力がみなぎるようだった。おばさん、重ね重ねありがとうございました。)
荷物を整え、ピロキから借りてきた自衛隊のポンチョをバックパックの上からスッポリかぶって、防水対策をし、6時過ぎに小屋を出発した。
おばさんに、会ってお礼を言いたかったが家もはっきり教えてもらっていなかったので、ノートをちぎってお礼を書き、水道栓と共に置いていった。
去る前に、小屋にありがとうございました、と一礼をする。
上坂の皆さん、ボランティアの皆さん、本当にありがとうございました!

さあ、今日は明日の難関、焼山寺に備えて11番付近までいくぞ!と意気込んで出発した。

6番へ向かう途中、雨の中集落内をてくてく歩いていくとしばらくして後ろからスクーターの音が聞こえてきた。
キッとその音が止まり、おじいさんが声をかけてきた。
「早いなー。昨日の小屋を覗いたら出た後やったけん、ここまで追ってきたよ。ちょっとお願いがあってね。」
違うことが後で分かるのだが、この時点では私はこのおじいさんを昨夜遅くまで小屋でしゃべっていたおじいさんだと思っていた。
だから(失礼なことではあるが、)ぶっきらぼうに、お話なら雨だし6番のお寺でお願いできませんか、と言ってしまった。
「ああ、そうだね。あそこには丁度休憩所もあるしね。じゃあ、先に行って待ってるよ。」
と、おじいさんはスクーターでゆっくり去っていった。

6番安楽寺前には、なるほど、立派な休憩所が建っていた。
そこに辿り着くと、おじいさんは既に中でベンチに腰掛けて待っていた。
「あー、ご苦労さん。雨じゃけん、大変じゃのう。」
おじいさんは、ゆっくりとしゃべりだした。
「実は、お願いがあっての…。…わしの娘の供養を、お願いできんじゃろか、と思っての。一人娘じゃったんじゃが、3年前に42歳で交通事故で死んでしまったんじゃ。これが、娘の写真じゃ。」
と、きれいに正装して椅子に座っている女の人のスナップ写真を私に渡してくれた。

あれ、昨日の晩のおじいさん、奥さんには逃げられたって言ってたけど、娘さんが亡くなったなんて話してたっけ?うーん、なんか胡散臭いなー。本当なのかなー。同じおじいさんだよね…?

なんてことを、写真をぼんやり見ながら、不謹慎ながら考えていた。
「若い女の子のお遍路さんを見かけたら、お願いしてるんじゃ。娘も、若い娘さんに供養してもらったほうが喜ぶじゃろうしのう。ここに、お賽銭が入っとるけん、これを使ってくれんか。」
と、ビニール袋に入った10円玉を10枚ほど渡された。

このあたりで、私のニブイ頭がカタン、カタンと動き出した。

あ、このおじいさん、八坂神社前で私に遍路小屋を教えてくれた親切なおじいさんの方だ!

「ほれ、炊いた栗も冷蔵庫にあったけん、持ってきた。冷たいままで申し訳ないけど、後で食べなさい。」
おじいさん違いだったことが分かると、急に今までのぶっきらぼうな態度が申し訳なくなった。

はい、一所懸命娘さんの供養をさせていただきます!、とおじいさんに誓った。

おじいさんは、その言葉を聞き、栗を私に渡すと、寂しそうな顔のまま、
「今晩は、11番藤井寺近くの鴨の湯に泊まるといいよ。温泉もあるし。気をつけてな。」
と言って、雨の中スクーターで帰っていった。
今までの私の態度が申し訳なくて、おじいさんの白く濁りかかった、遠くを見る目が悲しくて、おじいさんのスクーターが見えなくなるまで手を振った。

おじいさん、私しっかりやるからね。

はっ、私は経本すら持っていない!すぐにでも経本を買い、般若心経をお寺で唱えないといけない!と思い、急いで6番札所内へ向かった。

6番札所 安楽寺 5.3km(5番から)
求めている時ほど、欲しい物がない…マーフィーの法則通り、6番札所境内では経本が見つからなかった。仕方がないので、ご本尊の前で、自分のおばあちゃんのことをお祈りする前に、おじいさんの娘さんの御魂が安らぐようお祈りした。

7番札所 十楽寺 1.2km
ここのお寺でも経本は置いていなかった記憶がある。だが、この辺りで、雨が止んだ。

8番札所 熊谷寺 4.2km
このお寺は、仁王門がお寺からかなり離れた場所、高速道路を越えたすぐの辺りにある。
なかなか立派な仁王門で、素敵だった。
お寺の前には大きなアスファルトの駐車場があり、その手前にまた立派な納経所がある。
その前には休憩用のベンチが両側に沢山置いてあった。(熊谷寺さん、ありがとうございます。)
駐車場手前のベンチには、沢山の若い歩き遍路さんらしき人達と、今度は確かに件の小屋に遅くまで居座ったもう一人のおじいさんが座ってしゃべっていた。
私は、申し訳ないが、あのおじいさんが苦手なので、会釈だけして反対側の休憩ベンチに荷物を下ろし、今度こそ経本がありますように、と祈りながら本堂のほうへお参りに行った。

お参りから帰ってくると、香川出身の自転車で結願を終え、1番までお礼参りに向かっているというお兄さんがいた。お兄さんは特に先を急いでいないらしく、そこで20分くらいだらだら喋ることになった。
お兄さん曰く、遍路旅は、地元の人間とどれだけ関わるかが重要だ、とのことだった。
この時の私にはあまりピンとこなかったが、今ははっきりそうだと分かる。
「この旅で、いろんなヒントをもらったよ。帰ってそれを活かせるように、これからが頑張りどころだな…はは。」と、笑っていた。
それにしても、お兄さんはとにかく自分のことをしゃべるのに一生懸命だったので、私は最後のほうは本当に適当に相槌を打っていた。
今思えば、これが記念すべき『人の話を聞かないお遍路さん』第1号との遭遇だった。
しばらくするともう一人おじさんがやってきた。
これがチャンス、とばかりにお兄さんをおじさんに引渡し、私はトイレを借りにきれいな納経所へ入っていった。
トイレを済ませたところで、納経用カウンタの前に経本が販売されていたのを見つけたので、やったーとばかりに早速それを購入した。

9番札所 法輪寺 2.4km
ぽっかりそこだけ小さな森のようなお寺。
お遍路に出て、9番にして初めてきちんと般若心経を唱えた。
我が家は実家が真言宗なので、般若心経を唱えるのは別段苦労しなかったが、真言等はこの時点では唱えていなかった。
優しいおじいさんの娘さんの御魂の安らぎと、私のおばあちゃんの心へ光をお願いして終了。

集落内をしばらく歩き、10番札所へ向かうため、右に坂を曲がり少し歩くと左がわにうどん屋さんがあった。
その前を通ると、おばちゃん2人が
「10番は階段がきついから、ここにカバン置いて行きなさい~。」
と言ってくれたので、お言葉に甘えてバッグを置かせていただいた。
確かに10番札所は階段が多かった。
バッグを置かしてもらって大正解。
おばちゃん、ありがとうございました。

10番札所 切幡寺 3.8km
階段の横にスロープが設置してあって、足の弱い人でも上まで到着できるようにしてあったが、あえてここは階段で上る。
参拝を終わって、うどん屋さんにバッグを取りに行き御礼を言うと、
「あー、今ちょうどおはぎがあるから入ってらっしゃい。」
と誘われた。
今日はよほどのお餅日和なのだろう。
朝もよもぎ饅頭で、昼はおはぎって…
でもせっかくなので、中の椅子に座って休憩させていただいた。
きな粉のおはぎを2つ目の前に置かれたが、お腹が空いていなかったので1つしか食べることができなかった。
お接待を受けてばかりでも悪いので、お店で売っていたヤクルトを1本買った。
おばちゃんは、元々ヤクルトおばさんをやっているらしい。
お礼を言って、先を急ぐ。

10番から11番までは吉野川を渡って9kmあり、この頃の私にはまだ9kmは長かった…
まだ日差しが強く、昨日もお風呂に入っていないので、吉野川がきれいなら水浴びをしようと心に決めていた。
へろへろになりながら、吉野川を渡った。
残念ながら、水はそんなにきれいではなくヘドロのようなモノが所々浮かんでいたので水浴びは断念した。
それにしても、川を渡るときの橋が狭い沈下橋のような割には、車の交通量が多かった。
車が通ると歩行者は橋げたに上がらないと通れないくらいの狭さだったので、余計に面倒臭く感じた。
何とか川も渡り、右手に小さなお城を望みながら11番藤井寺のほうへてくてくと向かう。
192号線沿いに出た頃には、すっかり日が傾いていた。
でも、なんとか鴨の湯まで到着してお風呂に入りたいと思っていた。
国道沿いのスーパーで今晩の夕食を調達して外に出たとき、
「ご苦労様ですー!頑張ってください!」
と、お兄さんから缶コーヒーとお茶のお接待を受けました。
お兄さん、ありがとう!

ふらふらになりながら、鴨の湯に6時半頃に到着。すでに真っ暗。
ここは、徳島の善根宿で最高の場所だと言われている。
屋根と四方の壁に囲まれたきちんとしたこぎれいな小屋が2個あり、洗濯機・乾燥機、無料のレンタル自転車までお遍路さんのために置いてある。
全てこの町内のボランティアの方々や鴨の湯の職員さんたちが、お遍路さんのために管理してくれている。ありがとうございます。
しかし残念ながら、鴨の湯は水曜日が定休日になっていた!
お風呂に入れなくてがっかりしたが、畳の上で寝れるのはうれしかった。


私が到着したときには、バイクで日本一周をしている男の子1人と他に歩きのお遍路さんが2人、大きい方の小屋にいた。
もう一つの小屋が、今晩は女用になっているみたいだった。
歩きの女の子1人が既に荷物だけ置いて、丁度食事に出ていたところだった。
しばらくすると、近所の民宿で泊まっていた白人の歩き遍路の男の子が小屋に遊びに来た。
食事に出ていた女の子が戻ってきて、みんなで仲良くこの先の情報交換を始めた。
私は、疲れていたので輪には交じらず、話だけを聞いていた。
白人の男の子が後3日で遍路が終るのでこれあげる、と言って例の「野宿リスト」を女の子にあげていた。
これが私の初めての「野宿リスト」との出会いだった。
コンビニもなかったので、コピーもできず、少しだけ内容を地図に写させてもらった。
テントもあるし、このリストが無くてもなんとかなるだろう、と思って。

その夜は、安心して熟睡できた。
みんなの存在と柔らかい畳が、本当に有難かった…
今日出会った全ての方たちに幸あれ。

2日目 歩行距離 約23km

9月25日(木) 3日目 野宿 (杖杉庵にてテント泊)

いよいよ四国遍路最大の難関と言われている焼山寺へ。

6時くらいに目が覚めると、一緒だった女の子は既に荷作りを終えていた。
寝ぼけ眼で準備にかかり、7時過ぎくらいに鴨の湯を出発。
その時にはバイクの男の子しか残っていなかった。
朝ごはんを食べ、小屋の掃除をし、小屋に一礼して出発。

寺に近づくにつれ、ぱらぱらとお遍路さんに出会うようになる。

11番札所 藤井寺 9.3km
朝の藤井寺は、すがすがしい空気に包まれていた。
いつもと同じように参拝を済ませ、本堂横の山道から、いざ!

いきなり最初から坂がきつい。
私は、焼山寺への道をなめていたと思う。
登山経験はあるし、たいしたことはないだろうとたかをくくっていたら、とんでもなかった…
運動不足だった私は、昨日の白人のお兄さんを含めた3人のパーティーに抜かされ、距離を離されていった。
自分のペースで少しずつ行こう…

山道がいったん途切れ、林道にぶち当たる直前にベンチがあった。
そこに既に腰掛けている地元の人らしきおじさんがいた。
「ちょっと休んでいきなさいよ。」
そう言われて、私もベンチに腰を下ろした。
おじさんは地元の方で、大工をしているが、来週まで仕事が始まらないので今は時間を持て余している、と言っていた。
時間があると焼山寺までハイキングに行くそうだ。
今思うと、あの往復をハイキングだなんて、なんて健脚なんだろう。

20分ほどいろいろしゃべっている内に、おじさんと途中まで一緒に登ることになった。

山道の途中で、テントを張っているおじいさんに出会った。
「結願して今から1番に戻る途中にここで泊まったんだけど、荷物が重そうな人がおったからちょっとそこまで担いであげたんよ。」
と、気楽に言っていたが、すごいな~。
おひげが長く真っ白で、仙人のようなおじいさんだった。

おじさんと二人でひたすら山道を登る。
私のあまりのバテぶりに可哀相に思ったのか、おじさんが途中から荷物を担いでくれた。
ベンチを見るたびに休憩を取り、おじさんが肩や足のマッサージをやってくれる。
途中、おじさんの庭でなったというスダチや甘夏などをごちそうになった。
申し訳ない…おじさん、本当に、本当にありがとうございました!!!

最初の遍路ころがしの坂を下りると、柳水庵が見えた。
湧水が出ており、そこでのどを潤す。
おいしいくて甘い水だった。
おじさん曰く、昔はここにも水が湧き出ていたが、今はかなり上のほうから水を引いてきている、とのこと。
ここには、お遍路さんが宿泊できる通夜堂がある。
昔は人が常駐していたとのことだが、今は誰もいないので勝手に寝泊りできるようだ。

おじさんは、こともなげに私の荷物を担いでさらに山道を進む。
申し訳なくて、私が担ぎます、と言っても
「大丈夫、大丈夫、体だけは丈夫じゃけん」
と言って進んでいく。
おじさんの家には赤の彼岸花以外に、白と紫も植えていると言っていた。
赤以外の彼岸花なんて見たことない。見てみたいな。

行き倒れたお遍路さんのお墓を横目に、他愛の無いことをしゃべりながら上っていく。
道のはたには掘り返した穴がいっぱい開いていた。イノシシがえさを探すためにやるそうだ。
私は気づかなかったが、おじさんは蛇を2回ほど見つけていた。2匹とも毒があるタイプではなかった。
この山はキノコが豊富で、様々なキノコを見た。マツタケも生えているそうだ。
おじさんは、この山のことについてとても詳しく、話をしていて飽きなかった。
彼の人生話や、若い頃の話など、いろいろな話をした。
私が「竜馬が行く」を読んで、早く土佐を見たい、ということを伝えるとおじさんは、
「うーん。土佐はあんまり良い所じゃないよ。」
と、言った。
その時は、何を言ってるんだこの人は、を思ったが、今では彼の言った言葉の意味が分かる。

休憩を沢山取りながら、ゼイゼイハアハアまたしばらく登っていくと、今度は浄蓮庵、一本杉のある高台までやって来た。
こんな大きな杉は、今まで見たことがない。
すごい。
1本の杉が5本くらいに枝別れしているのだが、その1本1本が普通に生えている杉の何倍もの太さにまで成長している。
根っこのほうなど、5人でも囲めきれるのか疑問に思う。

どれだけの間ここに立っているのだろう。
どれだけの人々が行きかう様を見てきたのだろう。
世の中の移り変わりをどう感じて生きてきたのだろう。

杉の近くには、みょうがが沢山自生している。
もう午後2時くらいになっていたので、おじさんはここで引き返すと言っていた。
荷物も結局ここまで担いでもらってしまった。
本当に本当にありがとうございました!
早くおじさんにも良い人が見つかることを、心からお祈りいたします。

おじさんにお礼とお別れと言って、荷物を担いで一人歩き出す。
少し登っては休憩し、また少し登る。
あの坂の上まで。次の曲がり角まで。
お寺までの道のりを示してくれる江戸時代に建てられた丁石を頼りに進んでいく。
十八丁、十七丁…
そうやって登るうちに、ペットボトルの水が無くなってしまった。
5番付近の遍路小屋でもらった「空海の道」地図には、焼山寺に到着する前に、あと一つ湧水が示してある。
とにかくそれを頼りに進もう。

…だが、行けども行けども水場がない。

水~、みず~

と、ゾンビのように山を登っていくと、ぱっと目の前が開けて、おばさんたちの賑やかな笑い声が聞こえてきた。

ま、まさか!

森が切れ、目の前に石の壁が立ち並ぶ。
ア、アスファルトの道ずっと歩いていると、足首が痛くなるので土の道を歩きたくなるのだが、山深いへんろ道をしばらく歩いた後にアスファルトを見ると、「あー文明に帰ってきた~」と安心してしまう。
石の壁には仏様の像があり、その下から湧水が流れ出ている。
わき目もふらずに、その水を飲み、顔を洗った。
駐車場からお寺に歩いていたおばさんたちは何事かと思っただろう。

結局私が焼山寺に着いたのは、午後4時近かった。
荷物を持ってもらっても、8時間くらいかかった計算になる…
健脚で4時間、通常は6時間と言われている道なのに、お恥ずかしい…

12番札所 焼山寺
やっとの思いでたどり着いたので、山門での一礼も感慨深いものがあった。
「ようやくやって参りました。よろしくお願いいたします、」と。
空気がさわやかで、本当に気持ちの良いお寺だった。
本堂の脇からの景色も素晴らしかった。
時間も遅かったので参拝者もほとんどおらず、お腹が空いていたが境内のうどん屋さんも残念ながら閉店していた。
お庭では、何人かの大工さんが働いていた。
私が傍を通ると、一人の庭師さんが、
「歩いて登ってきたんかー。ご苦労さん!
5時には仕事が終るから、下まで乗せていってあげるよ。」
と、声をかけてくれた。
有難かったが、やはり歩いて下りたかったのでお断りした。
でも、ご親切に本当にありがとうございました。

さて、今晩の寝床を探さないと、と思いお寺を出発した。
下りの坂もキツイ。
しかも、先日の雨でまだ苔が濡れており足元が定まらない。
「野宿リスト」には、杖杉庵の近所に禅道場があって、泊めてもらえると書いてあった。
とりあえず、それを目指していこうか…
とぱたぱた山道を下りていくと、案の定グキッ、スッテーンと転んでしまった。
幸い捻挫はしなかったが、白いズボンがどろどろになった。
少し悲しくなったが、立ち止まっている時間はない。

焼山寺から1km離れた杖杉庵まで、なんとか到着した。
ここは、遍路発祥伝説のある地だ。
お大師さまへの施しを拒み、8人の子供を次々と亡くした右衛門三郎が、お大師さまへの許しを請うために四国を回り始め、21回目にしてようやくお大師さまに会うことができた場所だそうだ。
件の禅道場もすぐ見つかるだろうと思っていたが、看板らしきものもないし、隣の民家に人もいなかったので、尋ねようがなかった。
足も疲れていたので、もう杖杉庵でテント泊させていただくことにした。
お堂で手を合わせ、1晩の宿をお願いした。

この旅に出て、初めてテントを使った。
きれいではないが、幸いトイレも敷地内にあり、水も出た。
顔を洗い、足のマメの手入れ等を行い、明日の計画を立てた後、すぐに眠りについた。
今日出会った方々、本当に、本当にありがとうございました。

3日目 歩行距離 15.8km

9月26日(金) 4日目 宿泊 (プチペンションやすらぎ)

杖杉庵では、明け方より小雨が降り出した。
日が昇り、濡れたままのテントを軒下まで急いで運び、顔を洗い、カロリーメイトを朝食に食べた。
テントが少しでも乾くとよいと思い、軒下のベンチでゆっくりさせてもらっていた。

すると、マイクロバスが一台駐車場に止まった。
中から白衣を着たおばさん軍団がわらわらと降りてきた。
ガイドさんとおぼしき男の人が右衛門三郎についても伝説を大声で説明し始める。
こんな所に朝早くから人が来るなんて思ってもなく、テントも荷物も軒下に広げたままだったので焦った。
寝起きの疲れた頭であんまり会話をしたくない気分だったので、急いでテントをたたみ、荷物をまとめた。
荷物をまとめ終わるか終らないかのうちに、おばさん軍団がお賽銭をあげに、本堂のほうへ近づいてきた。
あっという間に、囲まれ、質問攻めにあう。
荷物をなんとかまとめ終わりポンチョをかぶり、本堂にお礼だけ述べ、急いで出発しようと石段の階段を駆け下りた。

その瞬間、階段前で飛んでいた2匹の大きなスズメバチを蹴ってしまった。
あっ、と思った瞬間右のふくらはぎ下に激痛が走る。
逃げようと小走りに走るが、追いつかれて次に右のひざ裏。
黒のパンツをはいてなくて良かった…なんてどうでもよいことが頭によぎった。
足は痛いが、おばさん軍団の中に戻って状況を説明したくなかったので、びっこを引きながら歩き続けた。

生まれて初めてハチに刺された…
ここは見渡す限り山。
小さな集落の中ではあるが、医者なんてとてもいないだろう場所だ。
あー、やばい。
初めてだからアナフィラキシーショック状態になることはないけど、4cmくらいのスズメバチ2匹だったし、大丈夫だろうか…
雨がしとしと降っている。
道端に屋根がある無人販売の小屋を見つけたので、軒下に座り刺された場所を見た。
真っ赤になって腫れているが、針も残っていないようだ。
携帯から家に電話し、ハチ刺されの対処法を聞いた。
ステロイドや冷やすための道具もないので、消毒用のイソジンをたっぷり傷口(3箇所刺されていた)に塗り、念のためイソジンの容器の口で刺された箇所を吸ってみた。
その後絆創膏を貼り、完了。
ひどくなるようなら、麓で病院にでも行こうと思いながら、再出発。
雨にハチ刺され…正直ちょっと泣きそうだった。

急なアスファルトの道を降りていく。
しばらくすると、足の痛みもそんなには気にならなくなってきた。
呼吸も正常だし、なんとかなるだろう。

地図を見ると、遍路道の入り口を2つ通り過ぎてしまっていたみたいだ。
それでもアスファルト道をしばらく降りると、神山温泉に向かう道と玉ヶ峠を越える道の分岐点に出た。
最初から神山温泉には寄る予定がなかったので、玉ヶ峠方面に向かう。
そう言えば、2日前鴨の湯で一緒になった須磨の女の子は、神山温泉の道の駅まで向かう、と言っていた(現在神山温泉の道の駅は宿泊禁止となっていると後で聞いたが…)けど、ちゃんと着けたのだろうか、などと考えながら峠への林道を登って行った。

しばらくすると、杉林の間を抜ける遍路道の標識と休憩用のベンチが現れた。
遍路道の右側にはきれいな沢が流れている。
雨は相変わらず降っているが、この辺の山は一旦中に入ると木々が雨をかなりしのいでくれる。
有難くベンチで少し休憩させてもらい、杉に囲まれた遍路道へと入っていった。

杉の枯れ枝や落ち葉のクッションのお陰で、雨の山道は全く滑らない。
私以外の人間の足音は全く聞こえない深い山。
見渡す限りの茶色と緑と、時々する小鳥の声。
しっとりと世界が濡れている。
心が落ち着く。
心細いなんて感じない。
不思議だ。

杉のトンネルを杖をつきながら、登っていく。
登りがきついことには変わりない。
でも、昨日の焼山寺に比べるとなんてことはない、と思えるくらいにはなっていた。

両側の低い崖に挟まれるような感じで、峠の道路が見えた。
昔の人間も、同じようにこの峠を見たのだろうか。
江戸時代の人が山道を普通に通っていた頃などには、もっと往来が多かったのだろうか…

峠のすぐ横には、大きなお堂のようなものが建っていたので軒下で休憩させてもらっていると、雨が止んだ。
ここからは、アスファルトの下り道を降りていく。

しばらく歩くと、景色が急に開けた。
眼下に見えるのは、鮎喰川の美しい青の蛇行。
ミカン畑と集落、そしてその透明な水のコントラストに息を呑む。
こんな場所に住むのも良いな、と思う。
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更に山を降り集落を抜けて、ようやく鮎喰川沿いの県道に出た。
遍路を始めて4日目。一度もお風呂に入っていない。
遍路道は、鮎喰川にかかる橋を渡ることになっているが、その橋の下に降りれる。
我慢ができずに、そこで水浴びを決行することにした。
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ここは、ごろごろの石さえ気にならなければ、テントを張るのにもってこいの場所だと感じた。

遍路道の橋を渡り、集落を抜ける。
県道に戻る直前に沈下橋を渡るが、そのすぐ手前が牛舎になっていた。
そこにいっぱい詰め込まれ、耳に認識標をつけた牛たち。
一匹の子牛のあきらめたような悲しい目が忘れられない。

県道を更に歩いていると、自動車の修理工場の前を通った。
「ちょっと休憩していかんか?」
と、工場の中のおじさんに声をかけられた。
ありがとうございます、お言葉に甘えさせていただきます、と軒先に荷物を置いて座ろうとすると、
「何じゃ。ちゃんと中に入って休みなさい。」
と言ってくれた。
仕事を中断してくれて、事務所まで案内してくれた。
「うちで作ったすだちを絞ったジュースなんよ。酸っぱいけど、元気が出るよー。」
と、二階から冷たいジュースとシロップを持ってきてくれた。
そのジュースは新鮮なすだちそのままの味がした。
本当に、おいしかった。
しばらくお話をしながら休憩させていただいて、自家製無農薬すだちを両手いっぱいほどいただいた。
おじさん、ありがとうございました!これからも美しい鮎喰川の側で、お元気で頑張ってください!

今晩は、ハチ刺されの足も心配だし、お風呂に入って洗濯もしたいので宿に泊まることにした。
県道沿いの「プチペンションやすらぎ」さんにお世話になることに決定。
ちょっと早めに歩くのを止める。
ここは、インターネットも無料で使用させてくれ、洗濯もお接待で無料(乾燥機は200円)・部屋は洋室で各部屋BT有・きれいな施設で満足だった。
二食付6,825円。お食事もおいしかった!
ありがとうございました。

鮎喰川、その付近の山々の自然が未来のお遍路さんのためにも残っていきますように。
ここに住む全ての命に光あれ。

4日目 歩行距離 14.5km

9月27日(土) 5日目 野宿 (文化の森総合公園)

「プチペンションやすらぎ」さんにて、お風呂に入り洗濯もし、ゆっくり休ませていただいたお陰で気分一新。
この辺りは、本当に水がおいしい。
水道水も山の湧水のような味がするので、水道水をペットボトルに詰めて出発した。
足も軽い。
今日は朝から快晴。
徳島の中心地を過ぎる予定で出発。
ペンションを出て、県道21号線を美しい鮎喰川沿いに徳島市へ向かう。
ここは、夏には徳島市内からキャンプなどに訪れる家族などが多いらしい。

しばらくすると、「おやすみなし亭」という遍路のための休憩所が見えてきた。
きれいな木造小屋の中に入ると、冷蔵庫とテーブル、そしてベンチなどが置いてあった。(ちなみにここは、宿泊禁止となっている。)
気温も高くなってきており、有難く冷蔵庫の中のお茶とテーブル上の飴をいただいた。
このような善根施設を、お遍路さんのためにボランティアで運営してくださっている地元の皆様に本当に感謝。
ありがとうございます!
ちなみに、ここで初めて「嘆きのへんろ道」と題された新聞記事を見た。
へんろ道沿いのゴミ問題について書かれた記事で、これからあらゆる遍路休憩所などで見ることになる。
実際に遍路道沿いにはゴミが多い。
お遍路さんのみが排出しているのでは決してないゴミも多いが、山道などはやはり心無い遍路が置き去りにしているのだろう。
数多い現代四国遍路の問題その1に向き合わされた初めての場所が、ここおやすみなし亭だった。

おやすみなし亭を出発し、県道を更に歩いていくといきなり県道沿いに13番札所が左手に見えた。
県道に面して山門があり、大きなお世話だが、少し情緒に欠けるお寺だな、という感想を持った。

13番札所 大日寺 20.8km
このお寺は、山門付近で休憩していた女の子のお遍路さんを見たことくらいしか印象に残っていない。
私以外で女一人のお遍路さんを見たのは、ここが初めてだった。
声をかけたかったのだが、構われたくないような雰囲気をかもし出していたので話かけなかった。
私が参拝を終らせるのと入れ替わりのような形で、その女の子は次の札所に向かって去っていった。

この辺りにはお寺が5つ密集している。次々とお寺を回ってしまうと、あまり一つ一つのお寺の印象が残らない。

14番札所 常楽寺 2.3km

この辺りの畑は、行き倒れたお遍路さんの墓やお地蔵さんなどがいたるところに残っていた。
しかも、それが畑のど真ん中に残っている場所なんてのもある。
そこだけ島のように残して、周りをキレイに耕しているのだ。
これにはビックリするのと同時に、お遍路さんを今でも大切にしてくれている徳島の人々の心を感じ、有難い気持ちで一杯になった。
道沿いにも多く残っていて、例え道に迷っても、地図がなくてもこの墓や地蔵石などを追っていれば次のお寺にたどり着けるくらいだな、と思った。

15番札所 国分寺 0.8km

16番札所へ向かう途中の国道192号線を少し曲がったところにある「いやしの里」といううどん屋が美味しいと聞いていたのだが、入ることができなかった。

16番札所 観音寺 1.8km

17番札所 井戸寺 2.8km
コンクリートが敷き詰められた味気のないお寺だった。
お大師さまが一夜にして掘られたという井戸にちなんでいる。
本堂の中で、無愛想なおばちゃんが販売していたお寺の手ぬぐいを、頭からの汗を止めるために購入した。
おばちゃんのあまりの愛想のなさに購入をやめようかと思ったが、汗が顔に流れでてくるのに辟易していたので、結局買ってしまった。

今まで少しずつ集積されていた88ヶ所霊場会に所属するお寺に対する疑問や不信感のようなものが、この辺りから私の中で具現化されるようになってきた。
遍路や参拝者、ひいては世の中全てに対する心遣いのようなものが全く感じられないお寺が多かった。
お遍路さんや参拝者の納経代やお賽銭などで、四国霊場の各寺は年間数千万から、多い場所では何十億円の収入があると言われている。
宗教団体であるため税金は払わなくてよいので、丸々収入として得ている計算になる。(親分・高野山への上納金は支出として存在するそうだ。)
だが、児童施設や動物愛護施設に寄付をするわけでもない。
地元経済や生活に還元しているわけでもない。
信者であるお遍路さんに対して、遍路道を整備する努力をしているわけでもない。
お寺の中にすら、雨の日に参拝者が使用できるような屋根付の休憩所もない。
人(や命)の痛みがわからないお寺があまりに多いのには、道中何度も悲しくなった。

だが、お寺がショボイからと言って遍路をやめる気は、もちろんない。
新しい手ぬぐいを額に結び、山門で一礼し井戸寺を出発する。
ここから、遍路道が地蔵峠越えと徳島市街を抜ける道の二つに分かれる。
人通りの多い場所を歩きたくなかったので、私は地蔵峠越えを選んだ。
地蔵院までは、アスファルトの道だった。
そこから山道のへんろ道へ入る。
この峠は、なんとなく今までの山と違って少し気味が悪かった。
特に何が違うわけでもないのだが、頂上付近が特に恐かった。
初めて少し心細いと思った。

一旦峠を抜けてしまうと、後はゆるいアスファルトの下り坂だった。
集落に入って少しすると、「八万温泉」の看板が見えてきた。
汗をかいたので、ここでお風呂に入ることにした。
受付の人の対応も優しくて、快適なお風呂だった。
風呂上りに受付の方にこの辺で野宿できる場所はないか聞いてみる。
すると、
「この先の文化の森でできますよ。
でも、若い人達がけっこう集まるんですよね。
ここでも閉店までTVでも見ながらゆっくりしてもらって、その後は駐車場でテントを張ってもらっても良いですよ。」
と、言ってくれた。
有難かったが、閉店まで起きていられるか分からなかったので、辞退させていただいた。
お兄さん、ありがとうございました。

そして文化の森へ向かう。
八万温泉から県道203号線沿いに歩いていくと、橋を渡った場所に文化の森はあった。
徳島県立博物館なども建設されている総合公園だ。
足も疲れていたので、入り口からさほど遠くない場所にある野外音楽上のトイレ付近の芝生の上にテントを張った。
文化の森
夕方に、見回りの警備員がトイレの点検にやってきた。
そのお兄さんには気をつけてね、と言われたが、その後に来たおじさんに、
「こんな所にテント張っちゃだめだよ!」
と言われた。
どうしてですか、と聞くと返答はなく代わりに、
「火だけは使わないでね!夜見回りに来るからね!」
と言って去っていった。
足の手入れと夕飯を済ませ、準備をして眠りについた。
星が美しい夜、誰にも邪魔はされなかった。

みんな、ありがとうございました。

5日目 歩行距離 25.4km

9月28日(日) 6日目 野宿 (よってね市遍路小屋)

徳島での朝が明けた。
夜は確かに若い人達の声が聞こえたり、打ち上げ花火のようなドーン、ドーンという音が聞こえていたりして寝つきは悪かった。
だが、笈づるを外に掛けて汗を乾かしていたせいかどうかわからないが、誰にも邪魔されることなく朝を迎えることはできた。

朝早くから地元の方々がマラソンや散歩に来ている。
早くテントを片付けないといけない、とばたばたと荷物をまとめた。
それから隣のきれいなトイレで顔を洗わせていただき、朝ごはんに昨日買っておいたおにぎりを食べる。
すると、どこからともなく猫たちが数匹現れて、追いかけっこを始めた。
一匹の黒い猫が私の側までやってくる。
昔、家で兄弟のように可愛がっていたケンという猫にあまりにそっくりだったので、パシャ。
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みんな、元気で生きていってね。
猫たちにちょっと癒された後、文化の森総合公園にお別れを告げる。
橋を渡る前に一礼。お世話になりました。ありがとうございました!

総合公園の橋を渡ると少しまた国道を歩く。
しばらくすると、遍路の標識が見えてきた。
その標識に従い、細い道を登校中の小学生達と逆方向に向かう。
「おはようございまーす!」
この辺の小学生は、元気がいい。
挨拶ができる子供達がいる地域は、決まって大人の対応も優しくていつもうれしくなる。

再度川を渡るが、そこから遍路の標識を見失ってしまった。
地図を見ながらきょろきょろしていると、自転車で通りかかったお姉さんが親切に道を教えてくれた。
ありがとうございました!
お姉さんに教えられたとおりに住宅地の中を通り過ぎていくと、犬の散歩をしているお母さんに出会った。
「まあ、お遍路さん?大変ね。」
そういって、かばんに入っていたファイブミニを出して、
「はい、お接待。」
と言って渡してくれた。
正直毎朝きちんと後ろのドアをノックされてなかったので、有難かった。
その上、私のごみを見て、
「それ、出しといてあげるわ。」
と言ってビニール袋に入っていた昨日からのごみを預かってくれた。
本当にありがとうございました。
これからもお元気で、ワンちゃんのお母さんでいてあげてください!

しばらくして県道に出て、そして国道55号線にて徳島市街抜けへんろ道と合流した。
へんろ道が二つに分かれているところは、やっぱり寂しいな…
合流するとなぜか安心した。

55号線は車の交通量も多い。
JR牟岐線を渡ったところにある遍路休憩所で少し休憩してまた歩き出す。(地元のみなさん、ありがとうございます。)
しばらく行くと、右手の景色が畑ばかりになってきた。
車を見ても楽しくないので、畑の方を見ながら歩いて行く。
すると、耕運機に乗って秋の稲刈り後の畑を耕しているおじさんと、その後をついて回っている10羽ほどのシラサギがいた。
おじさんの耕運機が掘り起こしたばかりの柔らかい土の中から、何かをつまみ出して食べている小さめのシラサギ数羽とそれを見守るように見ている大きなシラサギの軍団におじさんは囲まれて作業をしている。
シラサギも慣れたもので、耕運機の前には決して立たない。
耕運機が折り返す場所で、シラサギが進行方向に立つ位置になってしまった際には、おじさんも耕運機を止めてシラサギが動くか飛び立つのを待っている。
前に誰も居なくなってからまた耕運機を出発させ、シラサギがまたその後を追っていく。
国道から畑へ降りる階段でそれを見ながら休んでいたが、なんだかとてもうれしくなってしまった。
あー、これこそが人間の農業のあり方なんじゃないのかな、なんて思ってしまった。
人間が地球から土を借り畑を耕し、その恩恵を受けて動物が潤う。
なんだか人間が自然のサイクルにきちんと入って生活をしている姿がうれしくなった。
おじさん、ありがとう。

更に国道を18番札所へ向かう。

18番札所 恩山寺 16.8km
お寺の印象は、相変わらず残っていない。
ただこの辺りから、私のお祈りが、私のお婆ちゃんと6番のおじいさんの娘さんの供養だけから、今まで出会った四国の人・生物含めた全てのものへ与える光をお願いするものに変わっていった。
ここで6番札所で頼まれていた娘さんの供養の10円玉は尽きたが、最後まで娘さんの冥福とおじいさんの心の安らぎを祈る決心をした。

19番札所 立江寺 4.0km
集落内にある、きれいなお寺だった。
ゴミ箱も置いていてくれて、なかなか親切なお寺さんだった。
そこで今にも死にそうな年老いて骨と皮だけになった茶トラの猫をみつけてしまった。
放っておけない。
最後だけでもご飯を食べさせてあげたいと思い、近くにあった商店へ飛び込む。
すみません、猫のえさ置いていませんか、と訊ねると、
「あー、置いてないのよー。この辺はなくてねー、おばちゃんも遠くまでに自分の猫のえさを飼いに行ってるのよー。」
ん?猫好きさん?ということは、ちょっとわがままを聞いてもらえるかも。
申し訳ないですが、おばさんの猫のえさを分けていただけませんでしょうか、お代はきちんと払います、お寺に死にそうな猫がいるんです、と言うと、
「これ持って行っていいわよー。」
と、カンカンを1つ渡してくれた。
お代を払おうとしても、受け取ってくれなかった。
おばさん、本当にありがとうございました!
早速お寺に持って帰り、さっきの猫を探す。
カンカンを空けてえさを出してやると、ガツガツと食べた。
良かった。食欲はあるんだ。
猫が食べ終わるのを待って、カンカンはお寺の空き缶入れに入れさせてもらった。
お寺さんもありがとう。
猫ちゃんも、なんとか元気でやっていることを祈ります。
この辺から、猫のえさを持ち運ぶことを考え始めた。

お寺を出て県道28号線をてくてく歩いていくと、「手打ちうどん」の黄色いノボリが沢山立っている場所に着いた。
いつもお昼は特に立ち寄って食べず、グラノラやドライフルーツ、ビスケットなどを2時間置きくらいに食べるようにしているので、一旦通り過ぎるが、今日はどうしてもお腹が空いた。
引き返し、黄色い看板のうどん屋の建っている山すそまで歩いていく。
玄関口に荷物を降ろし、ガラガラを戸を開けてこんにちはー、と入っていった。
そこには、おばさんがカウンターの中に立っており、外には髪が半分白くなりかけたおじさんが座っていた。
「いらっしゃーい」
と暖かく迎えてもらい、早速大好きな玉玉(釜玉)うどん(250円!)があったのでそれを注文する。
讃岐じゃないし、特に期待もしてなかったのだが、これが美味かった!
麺はシコシコ、もちもちで、半熟になった卵がほどよくからみ、だしも美味い!
釜玉は、讃岐の山越うどんで食べて以来久しいが、徳島の小松島でここまで美味しいうどんに出会えるとは思っていなかった。
また、カウンターの外にいたおじさんはこのうどん店のなじみ(か親戚)らしく、私がうどんを食べ終わると自分で厨房に入ってコーヒーとチョコレートを持ってきてくれた。
なんでもおじさんは、山登りが大好きらしく北海道の礼文に山登りに行ったときの写真が店内にも飾ってあった。
山登りや遍路の話にひとしきり花を咲かせた後、アクエリアスをまた厨房から2本持ってきて渡してくれた。
うどんも安くて美味しかったし、お店の人も優しくて、ここのうどん屋はオススメ!

うどん みぽりん
徳島県小松島市櫛渕町木原47-1
県道28号線沿い山沿い
TEL 0885-37-3145
営業時間10:00~16:00 日曜10:00~16:00
定休日; 木曜日

アクエリアス2本分荷物が重くなり、みぽりんを出発する。
明日は、四国遍路第2、第3の難関である鶴林寺、太龍寺を超える。
それに備えてできるだけふもとまで行っておきたい。
県道16号線に入り、アスファルトの道を歩く。
しばらく行くと、JAの産直市場「よってね市」が見えてきた。
その端に遍路小屋が建設されているので、今晩はそこで寝ることにした。
よってね市の遍路小屋
ここは、敷地内にトイレもあるのでとてもありがたい。
ただ、県道沿いなので夜の音が心配だ…

本日お世話になった人々と猫たち全てに光あれ。

6日目 歩行距離 22.8 km

9月29日(月) 7日目 宿 (ホテルわしの里)

よってね市の遍路小屋は、県道に面しているだけあって車がうるさかった。
この頃から真剣に耳栓を購入することを考え始めた。
でも、耳栓をして寝てしまうことにまだ不安はある。
寝る際にはアーミーナイフを常に手の届く場所に置いているが、やはり一人で野宿は心細いときもある。

また、この小屋は屋根が比較的高く壁が低いので、夜間から降ると言われていた雨が入ってくる心配もあった。
だが夜明け前に雨にはならず、出発前になってようやく雨がポツポツ降ってきた。
今日もお世話になった小屋とトイレ施設に一礼して出発。

今日は一日山。
四国遍路第2第3の難所と言われている鶴林寺と太龍寺である。
小雨振る中、県道を林道に入り、そこから山道へと進んでいく。

雨はしとしとと降り続く。
山の中では木が雨をある程度ふせいでくれるので、雨水でそんなに濡れることはない。
ただ、私が持っていった陸上自衛隊のポンチョの通気性は最悪だった。
雨で外側が湿るのは当たり前だが、これは中の汗を全く外に出さないので山道を登ってしばらくすると、中も同様にびちょびちょになる。

こんなポンチョで日本は若者に雨の中人を救え、戦えと言っているのか…
戦意喪失どころの話ではないな…
在日米軍軍人とその扶養家族全員には家・電気・水・ガス・福利厚生を全て無料で与え、基地の家や施設を建設し、日本国民に何十億という税金の負担をさせ、自国の自衛隊にはナイロンシートで雨の中内外濡れそぼって人命救助をしろ、命令があれば戦え、と…
米軍のゴアテックス性雨具とは通気性も性能も雲泥の差があるポンチョである。
戦後60年が過ぎ、日本の軍隊は名前とその違憲性以外に何が変わったのだろう。
山を登りながら、この国の行く先を憂いてしまった。

そんな暗い心と裏腹に、山の中は美しかった。
しっとりと雨に濡れた杉の木々、落ち葉や枯れ草。
時々聞こえる野鳥の声。
ここでも他のお遍路さんとあまり出会わなかったので、静かだ。

20番札所 鶴林寺 13.1km
登りは確かにしんどかったが、鶴に見守られ一礼をして山門をくぐったときには達成感がある。
雨が降り続いており、歩きの参拝者さんたちと軒下で「大変ですねー」などとお互いをねぎらった。
その軒下で休憩をした後、第3の難所、太龍寺へと山道を下っていった。

そう、ここは山を2つ越えるルートになっている。
一度鶴林寺に向け標高500mまで登ったのに、40mまで降りてから太龍寺の520mまで再度登り直さなければいけない。
12番焼山寺ではもっと高低差の大きい山を2つ越えて行ったため、堂々の遍路難所1位を勝ち取っているが、こちらも2番3番にノミネートされている場所である。
なかなかきつい。
下りは最初標高500mから190mまでを1.3kmで下る。
膝が痛い。
石段や丸太の階段にしてくれている場所があるのだが、それが一番きつい。
一歩一歩降りるたびに膝と足首に痛みが走った。
真直ぐ向いて階段を下りれないので、横向きにゆっくり降りていった。

現在の四国へんろ道には、おそらく昭和61年くらいに「四国の道」が制定された際に作られたであろう、木の形をしたコンクリートの丸太を階段状に組んである山道が所々にある。
作製当初はありがたい階段だったのだろうが、20年以上経過した今では土が流れ、雨のときは水が川のように流れ、各丸太の段差が大きくなりすぎてその階段を登る方が負担が大きい状態になっている。
現在では階段横を、丸太階段をよけて通る新しい道がお遍路さんの足によって製作されている。
親切だと思って行った行為なんだろうが、地形を人間の都合で変えるときには、先を見越す力っていうのが必要なんだな、と丸太階段を見る度思った。

この下り道では何人かのお遍路さんと出会った。
13番札所で行き違いになった女の子のお遍路さんとも出会った。
彼女もこの雨の中、気をつけないと滑ってしまう下りの山道に苦労していた。
追い抜き、追い抜かれ、を繰り返しながら進んでいった。
これが、彼女を見た最後だった。無事に結願されたのだろうか…

山道をひたすら下っていくと、ようやく周りの景色が開けてきた。
ここには廃校があって、お遍路さんがトイレや仮眠施設として利用できるようにしてくれている。
ここに野宿した男の子に後で出会ったが、やはり雰囲気は満点だったらしい。
彼はもう一人お遍路さんが一緒に泊まっていたので、なんとか休めたが、一人では絶対寝れなかったー、なんて言っていた。
トイレを利用させていただきたかったのだが、私は案内札すら見つけられなかった。
雨の日はつい足元にばかり注意が行ってしまうので、標識を見失うことが多かった。
小学校から少しおりると、休憩所があったので、そこで少し休憩させていただいた。

休憩が終ると、小さな集落を流れる那賀川を渡り、太龍寺へとまた山を登っていく。
登り道ではやはり他のお遍路さんに出くわすことが少ない。
へんろ道の脇を流れる清流に心を癒される。
007.jpg
是非また夏に訪れてみたい、とここでも思った。

21番札所 太龍寺 6.7km
山の上にあるお寺は、なんとなく清廉な感じがする。
自分が必死になってようやく登ってきたからなのだろうか。
ここでも屋根のある休憩所はないので、軒下で他の歩き遍路さんたちと情報交換をしたりした。

野宿じゃない方たちばっかりだったので、彼らはこのお寺をアスファルト道沿いに降りたところにある龍山荘に泊まると言っていた。
ここは、女将さんが細やかで評判が良いそうだ。
この時点までは、私は山道を下山して道の駅わじき付近にある阿瀬比の遍路小屋で宿泊しようと考えていた。
だが、彼らが出発する頃には、両面ぐっしょりのポンチョのお陰で私の体温はひどく下がってしまっていた。
寒くて震えるほどだった。
お風呂に入って温まらないと、絶対風邪をひく!と思った私は、今日の野宿を断念した。
ここままこの濡れたポンチョで歩くとやばい、とまで思ってしまったので、なんと禁断のロープウェーまで使ってしまった。
約3kmほどの道をチョンボしてしまったバツの悪さは今でも残っている…

とにかく、片道1300円を払って、ロープウェーに乗り込んだ。
自分があんなに必死になって登ってきた山を、ロープウェーはスルスルーっとあっという間に越していく。
なんだか唖然としてしまった。

麓に到着し、お寺からあらかじめ電話しておいた「ホテルわしの里」さんに転がり込む。
玄関に着くも、お宿の女将さんらしき人は地元の銭湯客と話をして、こちらを見もしない。
詳細を書くのも嫌なので、一行で済ませる。
二度とこの宿には泊まらないし、四国遍路中様々な宿も見たが、接客・サービス・内容・金額においてここは、全て最悪だった。
ただ、ここのお風呂と屋根・壁がある部屋のお陰で、風邪を引かずにすんだ。

本日出会ったお遍路さん全てに旅の安全を願いながら、就寝した。
休憩所や廃校を開放、管理していただいている地元の皆さん、ありがとうございます!

7日目 歩行距離 10km

9月30日(火) 8日目 宿 (橋本屋旅館本館)

今日も雨は降り続く。
早々に「ホテルわしの里」さんを出発し、先に進む。
ここでの滞在はさんざんだったが、お陰でポンチョも両面乾いていた。

国道195号線をてくてく道の駅わじきに向かって歩く。
しばらく歩いてようやく小さな道の駅が見えてきたが、朝早くてまだ何も開いていなかった。
ここを過ぎ、へんろ道のほうへ分岐する入り口付近に遍路小屋が一つ建っている。
昨日私が宿泊しようと予定していた場所だ。
ここには残念ながら、「宿泊はご遠慮ください」の紙が貼ってあった。
無理してここまで来なくて良かった…

休憩はさせていただいた。ありがとうございました。
もうこの頃には、山道はいやだ、という感情が芽生えていたのだが、遍路として新しい国道を通るのも納得がいかなかったので、結局23番平等寺へ抜ける大根峠に向けて出発した。

最初は民家の横を通っている細い道を過ぎていく。
そしてだんだんと山のなかに入っていった。
ここの峠は標高200mくらいなので、たいしてきつくはなかった。
国道を通るより、景色も良いし、やっぱり山道を通ってよかった、なんて都合のいいことまで思ったりした。
遍路は、こういうことの繰り返しだ。
最初は嫌だ、行きたくない、なんて思っていてもやはり行ってみると、その過程が苦しくても辛くても、結局「行ってよかった」と思えるのだ。
それがあるから、つい峠のへんろ道を歩いてしまう。
特に山には秋とは言え、まだ様々な花が咲いていた。
それらを愛でながらしんどくても歩いていくほうが、国道を通り車を呪いながら歩くよりもずっと良かった。

なんだかんだで峠を越え、また集落に出、平等寺に辿り着いた。

22番札所 平等寺 10.9km
ここはとてもこじんまりとしたお寺だった。
あんまり記憶にもない。
お参りを済ませて、先に進む。

平等寺を出発すると、ここからしばらくずーっとアスファルトの道が続く。
発心の道場、阿波の国もそろそろ佳境に差し掛かった。

しばらく歩くと、国道55号線に合流する。
山道もしんどいが、国道歩きは嫌いだ。
ひどい場所では自分と1m離れていない場所を大きなトラックがすごい音を立てて通過する。
特にこんな雨の日は、水しぶきも受け鬱になる。
今晩は早めに切り上げて、弥谷観音前の東屋で休もうと決めていた。
55号線の釘打(かねうち)トンネルを抜けると、右側に弥谷観音へ向かう橋があった。
だが、目の前に釘打遍路小屋があるので、そこを見てからにしようと思った。

どうせいつものように誰もいないと思い小屋に入ると、なんと先客がいた。
初めてのことだったので、少々驚いた。
向こうも他に誰か来るなんて思っていなかったのだろう。
ひげをサンタクロースのように生やしたおじいさんで、遍路3週目をしておられるそうだ。
自炊道具もきちんと持っている。
「以前はひげをちゃんと剃っていたんだが、地元に人にあれこれ聞かれるのが面倒くさくなってね。
こうしてひげを伸ばしたら、誰も寄ってこなくなったよ。
あっはっは。」
と、言いながら遍路小屋のベンチの上で正座をして文庫本を読んでおられた。
(後に、これが私の発心の理由の一つとなった「竜馬が行く」だということがわかった。)
とても礼儀正しい方で、私はこの優しい目をしたおじいさんが好きになった。
私も野宿だと言うと、
「それだったら、ここがいいよ。トイレは700mくらい行ったところになるけどね。弥谷観音の東屋は、壁がなくて大変だよ。水ももう汲んできたし、分けてあげる。」
と、温かい言葉をかけてくれた。
お言葉に甘えようかな、と思ったが、やはりトイレは気になる。
やはり外でするよりは、あるんだったらトイレに行きたいと思う。
700mって、夜にトイレに行きたくなったら遠いな…
とりあえず、弥谷観音のトイレ見てきます、と言って荷物だけ遍路小屋に置かしてもらって雨の中一人歩いていった。

国道を渡り、ダムのようなものの上にかかっている大きな橋を渡る。
重い荷物を持たずに歩くのは久しぶりで、あまりの体の軽さにちょっとうれしくなった。
弥谷観音は、けっこう遠かった。
ようやく空っぽの駐車場が左に見えてきたその時、
ワン、ワン、ワン!
と、犬の声が聞こえて駐車場の東屋にいた犬が2匹しっぽをちぎれんばかりにふりながら駆けてきた。
赤い毛のちょっと小さな犬と、黒い毛のちょっと大きい犬。
黒い方は、片目に怪我をしているのか目ヤニがいっぱい溜まっていた。
とにかくその犬たちに誘導されて、駐車場の東屋まで行く。
二匹の犬たちは、本当に人懐っこかった。
008.jpg
この赤毛のチビは、とにかくお腹がすいているのか構ってもらいたくって膝に飛びついたりしていたが、お兄ちゃんだろう黒犬のほうは、じっと触ってもらえるのを待っていた。
かろうじて頭陀袋に入っていた昼ごはん用のシリアルをやると、二匹とも飛びつくように貪り食っていた。

トイレを見たり犬をなでたりしていると、車が一台やってきた。
運転手はどうやら弥谷観音の関係者らしかった。
この犬たちはいつからここにいるんですか、と尋ねると、
「2-3週間前からかなー。時々誰かがエサをやってるみたいだけどねー。」
と、ひとごとのような返事が返ってきた。

誰がこんなかわいい犬たちをここに置き去りにしたんだろう。
確かに栄養状態は悪くなさそうだけど、こんな所に2匹野放しでいたらいつか絶対のたれ死んでしまうんじゃないだろうか…
やばい。
放っておけない…

携帯を幸い持っていたので、インターネットにアクセスして徳島に動物愛護団体で保護も行っているところはないか探した。
時間はかかったが、1件ヒットした。
HEART(ハート)徳島
という団体だった。
早速電話してみるが、留守番電話。
とりあえず留守電にメッセージと携帯番号を残し、連絡してもらえるよう頼んだ。

もうこれは、ここで夜を過ごすしかないだろう、そう思い荷物を取りにおじいさんのいる遍路小屋へ戻った。
途中まで2匹の犬は私の側にぴったり付いてきていたが、橋の手前でピタッと足が止まった。
私が橋を渡って行くのをじっと見ている。
小屋ではおじいさんが相変わらず正座で本を読み続けていた。
犬のことを話し、やはり弥谷観音で今晩は寝ることを伝える。
お邪魔しました、と言って荷物を担いで橋を渡ると、そこにはもう二匹はいなかった。
歩きながら、ピーッと口笛を吹くと二匹がまたすぐに駆けてやってきた。
とてもうれしそうだ。
この二匹は野良のまま置くには、勿体無いくらい良い性格をしている。
HEARTの人が迎えに来てくれることを祈った。

また駐車場の東屋へ二匹と戻る。
ここは蚊が多い。
蚊取り線香を持っていないので、参拝用線香をいくつか立てるが、すぐに消える。
でも蚊くらいなら、今まででもいた。
なんとかなるだろう。
荷物からチョコレート味以外のカロリーメイトを出して、犬たちにあげる。
スナックなんて食料にしてはだめだろうが、今は固形食糧しか持っていない。
最後に食べたのは今日中ではないだろう食べっぷりだ。
しばらく犬をなで寝床の準備をしようとしたとき、赤犬の体に大量のマダニが這いずり回っているのを発見してしまった。
1匹2匹なんてかわいいものじゃなく、うじゃうじゃと…
しかも皮膚に喰らい付いているのは1固体のみで、他はフリーダム。
これには頭の回線がショートし、これからの道のりで寝袋やテントに払っても払っても隠れているダニの這いずる姿が頭の中に巡った。
紅斑病、野兎病、ライム病…これはマズイ。
ノミくらいなら我慢できるが、目視できるサイズのダニが何十匹もウヨウヨ。
ここにはもう泊まれなかった。
ごめん、お前たち!一緒に寝れなくて、ごめんね!
断腸の思いで、またおじいさんの遍路小屋に帰った…

もうすっかり野宿をする気力がなくなっていたので、今日も不本意ながら宿に泊まることにしていた。
夕方で申し訳なかったが、遍路小屋まで「橋本屋旅館」さんが迎えにきてくれた。
「橋本屋旅館」の女将さん、本当にありがとうございました!!!
おじいさんに理由とお別れをつげると、おじいさんが小屋の外に出て見送ってくれた。
おじいさん、ありがとう。貴方が探しているもの、求めているものがちゃんと手に入ることを祈っています。

「橋本屋旅館」さんは江戸時代からこの旧土佐街道で創業されており、由岐の町で一番古いお宿だった。
宿の古さがとても心地よかった。
雰囲気も女将さんの対応も良く、とても心地よく過ごさせてもらった。
今晩は、外人のおばあさんが宿泊しているらしい。言葉が通じなくて大変だと女将さんが言っていた。
お風呂から上がると、そのおばあさんに女将さんが濡れた靴に新聞を入れるように言っていた。
おばあさんに英語で伝えてあげた。

温かい布団の中でまどろんでいると、HEARTの代表、スーザンさんから電話がかかってきた。
事情と、あの犬たちの状況を説明すると、台風が近づいていることもあり、可能ならば明日にでも引き取りに行ってくれると言ってくれた。
ただ、HEARTには保護施設はなく、個人にボランティアで面倒を見てもらっていて、そこも満員状態で大変だ、徳島県は動物愛護の精神がひどく遅れている、と嘆いていた。
確かに、徳島で野犬や可哀想な飼われ方をしている犬を沢山みた。
悲しい光景だった。
だが2匹の子犬に関してはとりあえず、良かった。
彼らの人生はこれからも困難だろうけど、とりあえず屋根と壁のある所に住め、ご飯はきちんと食べられる。

***彼らは、現在もHEARTのボランティアの方の家で里親を待っています。私もアパート暮らしでなければ、引き取りたいのですが現状はそうもいきません。救いの手を差し伸べていただける方がいらっしゃるのであれば、是非HEARTのサイトを覗いてみてください。ここに掲載されている「ハチパチ」と「ダイキチ」が弥谷観音から保護された犬です。

遍路小屋を管理してくださる地元の皆様、小さな命を救おうと頑張ってくださっているHEART徳島のボランティアの皆さん、本当にありがとうございます。
一生懸命生きている全ての優しい命に、光が宿りますように。

8日目 歩行距離 18km
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