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9月25日(木) 3日目 野宿 (杖杉庵にてテント泊)

いよいよ四国遍路最大の難関と言われている焼山寺へ。

6時くらいに目が覚めると、一緒だった女の子は既に荷作りを終えていた。
寝ぼけ眼で準備にかかり、7時過ぎくらいに鴨の湯を出発。
その時にはバイクの男の子しか残っていなかった。
朝ごはんを食べ、小屋の掃除をし、小屋に一礼して出発。

寺に近づくにつれ、ぱらぱらとお遍路さんに出会うようになる。

11番札所 藤井寺 9.3km
朝の藤井寺は、すがすがしい空気に包まれていた。
いつもと同じように参拝を済ませ、本堂横の山道から、いざ!

いきなり最初から坂がきつい。
私は、焼山寺への道をなめていたと思う。
登山経験はあるし、たいしたことはないだろうとたかをくくっていたら、とんでもなかった…
運動不足だった私は、昨日の白人のお兄さんを含めた3人のパーティーに抜かされ、距離を離されていった。
自分のペースで少しずつ行こう…

山道がいったん途切れ、林道にぶち当たる直前にベンチがあった。
そこに既に腰掛けている地元の人らしきおじさんがいた。
「ちょっと休んでいきなさいよ。」
そう言われて、私もベンチに腰を下ろした。
おじさんは地元の方で、大工をしているが、来週まで仕事が始まらないので今は時間を持て余している、と言っていた。
時間があると焼山寺までハイキングに行くそうだ。
今思うと、あの往復をハイキングだなんて、なんて健脚なんだろう。

20分ほどいろいろしゃべっている内に、おじさんと途中まで一緒に登ることになった。

山道の途中で、テントを張っているおじいさんに出会った。
「結願して今から1番に戻る途中にここで泊まったんだけど、荷物が重そうな人がおったからちょっとそこまで担いであげたんよ。」
と、気楽に言っていたが、すごいな~。
おひげが長く真っ白で、仙人のようなおじいさんだった。

おじさんと二人でひたすら山道を登る。
私のあまりのバテぶりに可哀相に思ったのか、おじさんが途中から荷物を担いでくれた。
ベンチを見るたびに休憩を取り、おじさんが肩や足のマッサージをやってくれる。
途中、おじさんの庭でなったというスダチや甘夏などをごちそうになった。
申し訳ない…おじさん、本当に、本当にありがとうございました!!!

最初の遍路ころがしの坂を下りると、柳水庵が見えた。
湧水が出ており、そこでのどを潤す。
おいしいくて甘い水だった。
おじさん曰く、昔はここにも水が湧き出ていたが、今はかなり上のほうから水を引いてきている、とのこと。
ここには、お遍路さんが宿泊できる通夜堂がある。
昔は人が常駐していたとのことだが、今は誰もいないので勝手に寝泊りできるようだ。

おじさんは、こともなげに私の荷物を担いでさらに山道を進む。
申し訳なくて、私が担ぎます、と言っても
「大丈夫、大丈夫、体だけは丈夫じゃけん」
と言って進んでいく。
おじさんの家には赤の彼岸花以外に、白と紫も植えていると言っていた。
赤以外の彼岸花なんて見たことない。見てみたいな。

行き倒れたお遍路さんのお墓を横目に、他愛の無いことをしゃべりながら上っていく。
道のはたには掘り返した穴がいっぱい開いていた。イノシシがえさを探すためにやるそうだ。
私は気づかなかったが、おじさんは蛇を2回ほど見つけていた。2匹とも毒があるタイプではなかった。
この山はキノコが豊富で、様々なキノコを見た。マツタケも生えているそうだ。
おじさんは、この山のことについてとても詳しく、話をしていて飽きなかった。
彼の人生話や、若い頃の話など、いろいろな話をした。
私が「竜馬が行く」を読んで、早く土佐を見たい、ということを伝えるとおじさんは、
「うーん。土佐はあんまり良い所じゃないよ。」
と、言った。
その時は、何を言ってるんだこの人は、を思ったが、今では彼の言った言葉の意味が分かる。

休憩を沢山取りながら、ゼイゼイハアハアまたしばらく登っていくと、今度は浄蓮庵、一本杉のある高台までやって来た。
こんな大きな杉は、今まで見たことがない。
すごい。
1本の杉が5本くらいに枝別れしているのだが、その1本1本が普通に生えている杉の何倍もの太さにまで成長している。
根っこのほうなど、5人でも囲めきれるのか疑問に思う。

どれだけの間ここに立っているのだろう。
どれだけの人々が行きかう様を見てきたのだろう。
世の中の移り変わりをどう感じて生きてきたのだろう。

杉の近くには、みょうがが沢山自生している。
もう午後2時くらいになっていたので、おじさんはここで引き返すと言っていた。
荷物も結局ここまで担いでもらってしまった。
本当に本当にありがとうございました!
早くおじさんにも良い人が見つかることを、心からお祈りいたします。

おじさんにお礼とお別れと言って、荷物を担いで一人歩き出す。
少し登っては休憩し、また少し登る。
あの坂の上まで。次の曲がり角まで。
お寺までの道のりを示してくれる江戸時代に建てられた丁石を頼りに進んでいく。
十八丁、十七丁…
そうやって登るうちに、ペットボトルの水が無くなってしまった。
5番付近の遍路小屋でもらった「空海の道」地図には、焼山寺に到着する前に、あと一つ湧水が示してある。
とにかくそれを頼りに進もう。

…だが、行けども行けども水場がない。

水~、みず~

と、ゾンビのように山を登っていくと、ぱっと目の前が開けて、おばさんたちの賑やかな笑い声が聞こえてきた。

ま、まさか!

森が切れ、目の前に石の壁が立ち並ぶ。
ア、アスファルトの道ずっと歩いていると、足首が痛くなるので土の道を歩きたくなるのだが、山深いへんろ道をしばらく歩いた後にアスファルトを見ると、「あー文明に帰ってきた~」と安心してしまう。
石の壁には仏様の像があり、その下から湧水が流れ出ている。
わき目もふらずに、その水を飲み、顔を洗った。
駐車場からお寺に歩いていたおばさんたちは何事かと思っただろう。

結局私が焼山寺に着いたのは、午後4時近かった。
荷物を持ってもらっても、8時間くらいかかった計算になる…
健脚で4時間、通常は6時間と言われている道なのに、お恥ずかしい…

12番札所 焼山寺
やっとの思いでたどり着いたので、山門での一礼も感慨深いものがあった。
「ようやくやって参りました。よろしくお願いいたします、」と。
空気がさわやかで、本当に気持ちの良いお寺だった。
本堂の脇からの景色も素晴らしかった。
時間も遅かったので参拝者もほとんどおらず、お腹が空いていたが境内のうどん屋さんも残念ながら閉店していた。
お庭では、何人かの大工さんが働いていた。
私が傍を通ると、一人の庭師さんが、
「歩いて登ってきたんかー。ご苦労さん!
5時には仕事が終るから、下まで乗せていってあげるよ。」
と、声をかけてくれた。
有難かったが、やはり歩いて下りたかったのでお断りした。
でも、ご親切に本当にありがとうございました。

さて、今晩の寝床を探さないと、と思いお寺を出発した。
下りの坂もキツイ。
しかも、先日の雨でまだ苔が濡れており足元が定まらない。
「野宿リスト」には、杖杉庵の近所に禅道場があって、泊めてもらえると書いてあった。
とりあえず、それを目指していこうか…
とぱたぱた山道を下りていくと、案の定グキッ、スッテーンと転んでしまった。
幸い捻挫はしなかったが、白いズボンがどろどろになった。
少し悲しくなったが、立ち止まっている時間はない。

焼山寺から1km離れた杖杉庵まで、なんとか到着した。
ここは、遍路発祥伝説のある地だ。
お大師さまへの施しを拒み、8人の子供を次々と亡くした右衛門三郎が、お大師さまへの許しを請うために四国を回り始め、21回目にしてようやくお大師さまに会うことができた場所だそうだ。
件の禅道場もすぐ見つかるだろうと思っていたが、看板らしきものもないし、隣の民家に人もいなかったので、尋ねようがなかった。
足も疲れていたので、もう杖杉庵でテント泊させていただくことにした。
お堂で手を合わせ、1晩の宿をお願いした。

この旅に出て、初めてテントを使った。
きれいではないが、幸いトイレも敷地内にあり、水も出た。
顔を洗い、足のマメの手入れ等を行い、明日の計画を立てた後、すぐに眠りについた。
今日出会った方々、本当に、本当にありがとうございました。

3日目 歩行距離 15.8km
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